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飼い主の義務

「……わ、今日もいい天気!」  独り言というにはあまりにも元気の良すぎるその声で、篠宮は眼を覚ました。一足先に起きたらしい結城が、ベッドの上に膝立ちになってカーテンを開けている。眩しい朝の光が、篠宮の顔を直撃した。 「ねえ篠宮さん、朝ごはん食べたらまた散歩に行かない? 昨日は玄関側を散歩したから、今日は裏手のほうを回ってみようよ」  逸る気持ちを抑えきれない様子で、結城が笑顔と共に早口でまくし立てる。ようやく目覚めかけた頭に手のひらを当て、篠宮は苦笑した。仕方ない。自分の犬を散歩に連れていくのは、飼い主の義務だ。 「そうだな、行ってみるか。明日には日本に帰るんだ。今のうちに大自然の雰囲気を満喫しておきたい」 「やった! じゃあ俺、朝ごはん作るね。それ食べたら、二人で出かけようよ」  歓声をあげて喜び、結城がいそいそとキッチンに向かっていく。  くちびるの端を上げ、篠宮は自らも身支度をするためにベッドから降りた。彼といる限り、自分が運動不足になることなど絶対に有り得ないだろう。今日もさんざん引っ張り回されるに違いないと思いつつ、篠宮はそれを心待ちにしている自分に気がついて苦笑した。  お茶の入ったペットボトルを腰につけ、結城と並んで裏手の丘へ向かい歩いていく。  今日は弁当を持たず身軽に出かけ、昼には一度コテージへ帰ることにしている。昼食には、結城が篠宮の好きな、タリアテッレのボロネーゼを作ってくれる予定だ。散策も楽しみだが、程よく疲れて帰ったところに食べるパスタがどれほど美味かと思うと、今から心が躍る。 「俺もこっちのほうはあんまり来たことないんだよね。散策するにもまずこの丘を越えなきゃいけないから、ちょっと面倒くさくって」  結城が先に立って斜面を登り始めた。緑に包まれた頂上まではかなりの高さがあり、丘というよりも小山だ。  それでもどうにか坂道を登りきり、いちばん高い場所までたどり着く。丘の向こうに広がっているのは、昨日見たのよりも遥かに大きな野原だった。 「へえー。あんな大きな樹があったんだ! ぜんぜん知らなかったよ」  結城が、野原のほぼ真ん中にある大きな樹を指差した。  なんという種類の樹なのだろうか。大人三人の腕でやっと取り囲めるかと思うほどの幹が、どっしりと地面に根を下ろしている。豊かに茂った緑の葉が、根元に涼しそうな木陰をつくっていた。  寄らば大樹の陰、という言葉が頭に浮かぶ。たしかにあれほど存在感のある樹ならば、暑すぎる陽射しも冷たい雨も、あの枝葉ですべて防いでくれるような気がした。

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