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年甲斐もなく
難しいルールなど何もない。大きな樹を横目に見ながら、緑の野原を縦横無尽に駆け回り、ただひたすらに速さだけを競う。
ほぼ全力疾走で三百メートルほど走ったところで、さすがに篠宮は疲れを感じた。だが、ここで手加減しては結城に失礼だ。息を吐いて気合いを入れ直し、もういちど脚に力を込めて、前へ前へと駆けていく。
意地でも追いつきたいという執念からか、背後で結城がスピードを上げる気配がした。
恋人同士で足の速さを競い合う。それを単なる戯言で片付けず、真剣に勝負してくれる結城がどこか微笑ましく感じられ、ふと肩の力が緩む。心の底で観念して、篠宮は歩幅を狭くした。本当は逃げる必要などない。自分はいつも、彼にそばに居てほしいと思っているのだから。
「……捕まえた!」
次の瞬間、結城の腕が腰に回される。バランスを失って、篠宮は地面に倒れこんだ。
「うわっ……!」
力強い結城の手が、篠宮の頭を守るように抱えこむ。地面は柔らかく、豊かに生え揃った草が二人の身体をそっと受け止めた。
「もうっ……もう絶対に離さない……!」
荒く息をつきながら、結城は篠宮の身体を抱き締めた。急な運動を終えた二人の額から、激しく汗が噴き出していく。
「やっぱり、君の……勝ちだな。さすが、若いだけはある」
「そりゃ……そうだよ。俺には、篠宮さんしか……居ないんだから。なりふりなんか、構ってられない。必死にも……なるよ」
お互いに息を切らしながら、喉を振り絞って言葉を紡ぎだす。
きょう着ているのは黒のシャツに濃いカーキ色のズボンで、汚れを気にする必要はない。草の上に背を押し付け、篠宮はしばしの休憩を取った。ここまで真剣に走ったのは久しぶりだ。
「あちぃ……! こんなに……はあはあ。こんなに走るんだったら、タオル持ってくれば良かったな」
「ハンカチなら……あるぞ」
寝転がったままポケットからハンカチを取り出し、篠宮は結城のひたいの汗を拭いてやった。だんだんと呼吸が落ち着き、スポーツの後の心地好い疲労感が全身を包んでいく。
草の上に横たわった自分の身体を見下ろし、篠宮は苦笑した。恋人に煽られ、年甲斐もなくむきになってしまった。このぶんでは、今日の夜あたりから筋肉痛に悩まされるかもしれない。
「お茶飲もうか」
結城がのろのろと立ち上がり、樹の根元に置いたペットボトルをつかんで戻ってくる。ようやくのことで上半身を起こし、篠宮は結城から自らの分のボトルを受け取った。
「あー、生き返るー!」
ひとくち茶を飲んだ結城が、大げさに溜め息を洩らす。
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