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魅力的すぎる
なんとか商談を終えて戻ってくると、喫茶店の前に、キャリーケースを手に立っている結城が見えた。
「遅れて済みません」
篠宮の姿を認めると、結城は申し訳なさそうな表情をしながら駆け寄ってきた。寝癖が直しきれていないものの、一応こざっぱりとしたいつもの身なりだ。
「早かったんですね。一時間ぐらいかかる予定だったのに」
「意外と早く終わったんだ。お客さまのほうでも事前にいろいろ調べていて、最初から注文するつもりだったらしい。とんとん拍子に話が進んだ」
篠宮は僅かにくちびるの端を上げた。商談がうまく進んだおかげで、多少機嫌が直っている。だがその気分は、結城の次の一言で吹き飛んだ。
「俺の居ないところで、二人きりで話したんですよね? 密室でした? どっか触られたりしませんでした? キスされなかったですか?」
「される訳ないだろう!」
篠宮は思わず大声を上げた。何を言いだすのだ、こいつは。もはや何の話をしているのかすら解らない。反省しているのかと思えば、すぐにこの体たらくだ。
「えー、でも。篠宮さん魅力的すぎるから、密室で二人きりになったら、その気がない人でも絶対その気になると思うんですよねー」
馬鹿なことを言うな。そう怒鳴りつけようとして、篠宮は口をつぐんだ。道行く人が、ちらりとこちらに不審な眼を向けていったからだ。
胸に手を当てて、篠宮は必死に心を鎮めた。この程度の軽口は、こいつにとってはいつものことだ。今回の出張任務はまだ始まってもいない。こんな事でへこたれているようでは、先が思いやられる。
「……とにかく、新幹線には間に合って良かった。あまり時間がないが、喫茶店でコーヒーでも飲んでいくか。サンドイッチくらいなら食べられるだろう」
「はい!」
結城が元気よく答える。本当に返事だけはいいと、篠宮は心の中で皮肉げに呟いた。これでもう少し仕事に真面目さが加われば、結城のような性格の人間はたしかに営業に向いているのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
喫茶店に入ると、やはりと言うべきか、迎えに出たウェイトレスが結城を見て顔を赤らめた。
カウンターでコーヒーと軽食を注文し、トレイを持って席に座る。先ほど受けた注文を本社に依頼すると、篠宮はノートパソコンを閉じて結城のほうに向き直った。
「切符は持ってきたか?」
「ありますよ、ここに」
結城が、鞄からチケットの入った封筒を取り出して見せた。いくら寝坊しても、それだけは忘れずにいたらしい。
「俺、工場って初めてなんですよね。今、工場見学ツアーってけっこう流行ってるじゃないですか。前にテレビで、ビール工場で飲み放題の特集してたんですよ。いいなー、ビール工場。うちの会社ではやってないんですかね? 行ってみたいです」
「遊びに行くんじゃないんだぞ」
篠宮はちくりと釘を刺したが、聞いているのかいないのか、結城は意にも介さない。
「あ、そうだ。篠宮さんってお酒好きなんですよね。前、部長がそんなようなこと言ってました」
「嗜む程度だが……さっぱりしたジンベースのカクテルはよく飲む」
話しながら、篠宮は時計を確認した。新幹線の発車時刻まで、あと一時間ちょっとだ。まだ少し余裕がある。
「篠宮さん、ウイスキーも似合いそうですよね」
「ウイスキーなら、スコッチが割と好きだ」
「気が合いそうですね! 篠宮さん、こんど二人で飲みに行きましょうよ。俺、いい店知ってます」
結城が嬉しそうに声を上げる。篠宮は苦々しげに眉を寄せた。二十五年間生きてきたが、気が合いそうなどと言われたのは生まれて初めてだ。
どうせ社交辞令だろう。篠宮はそう胸の中で自嘲した。自分みたいなつまらない男と酒を飲みに行っても、楽しいはずがない。すぐに会話が続かなくなり、微妙な空気になるのが目に見えているではないか。
「そろそろ行くか」
トーストの最後のかけらをコーヒーで流しこみ、篠宮は立ち上がった。コートを着て会計を済ませ、すぐに駅へ足を踏み入れる。
駅の構内は、知らない者にとってはまるで迷路だろう。みやげ物屋が左右に並び、篠宮と同じように出張に向かう人々や、旅行客でごった返している。だが篠宮は営業職という立場上、新幹線には乗り慣れていた。所々にある店や階段の間を縫うようにして、込み入った道を迷わずに進んでいく。
「切符はどこに入れたんだ? 今のうちに出しておいたほうがいいぞ」
もたもたしていると、他の乗客に迷惑がかかる。そう懸念した篠宮は、後ろにいる結城に声をかけた。結城が立ち止まって鞄の中を探る。
「はい。切符切符……と……ん?」
結城は手を止めて、何かを思い出すような表情を見せた。その顔がしだいに青ざめていく。
「さっきの喫茶店に忘れてきた!」
「は?」
信じがたい思いで、篠宮は我ながら間抜けな声を漏らした。大事な切符を置いてくるなど許しがたい話だが、忘れ物がないか、店を出る時に確認しなかった自分にも落ち度はある。
「仕方ない、諦めろ。自腹になるが、自由席ならまだ空いてるだろう」
「嫌ですよ、それじゃ篠宮さんの隣に座れないじゃないですか!」
結城が泣きそうな声で叫ぶ。あまりのことに言い返す言葉もなく、篠宮は奥歯をぎりぎりと噛み締めた。冗談じゃない。こんな部下の面倒を見させられるなんて、泣きたいのはこっちだ。
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