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お土産
篠宮の所属する営業部一課では、自分が旅行に出かけた時、社内の仲間に土産物を買ってくるかどうかは完全に自由だ。世間話のきっかけだと思うなら配ればいいし、無駄な出費だと思うなら買わなくてもいい。
誰々は旅行に出かけたくせに土産を買ってこないだの、あいつはお返しを寄越さないなどと、つまらない事を言う輩はこの一課には一人もいない。どうでもいい他人の言動にいちいち文句をつけて嫌味を言うのは、言っている本人が不幸だからだ。人間、自分が本当の意味で幸福でありさえすれば、他人の粗 など大抵のことは笑って許せるものである。
幸いこの会社は、給料も休みも多く、残業もほとんどない。誰も彼も、家に帰れば家族とゆっくり過ごしたり、習い事をしたりしてプライベートを楽しんでいる。ろくでもない人間関係のトラブルが少ないのは、それだけみんな満たされているといることなのだろう。
ちなみに篠宮は今まで、会社の仲間に土産物を買ってきたことはなかった。理由はひとつ、旅行をしたことがなかったからだ。
会社のみんなに土産を買っていくべきか否か。この点については、篠宮の考えははっきりしていた。誰かれ構わずばら撒く必要はないと思うが、いつも世話になっている人には、この機会に感謝の意を伝えておきたい。
「あの……天野係長」
昼食に向かうため席を立とうとしていた上司に、篠宮は横から声をかけた。
「ん? 何かしら?」
「実は、たまには海外旅行でもと思って、休みの間に北米へ行ってきたんです。係長にはいつも何かと助けていただいていますので、この機会にお礼をと思いまして」
そう言って、篠宮は絵葉書の入った包みを差し出した。有名な建築物や美しい山々のある風景写真が、何枚かセットになった物だ。
「あら。お土産だなんて、そんなに気を遣わなくてもいいのに。でもありがとう。嬉しいわ」
天野係長が笑顔で手を伸ばし、篠宮から絵葉書のセットを受け取る。
日本の物より少し大判の絵葉書は、透明なビニールに入っているだけで、特に念の入った包装などはしていない。上司へのお土産として渡すには雑な包みかただが、天野係長は女性、しかもかなり美人の部類に入る女性だ。妙な下心があると周りから思われないためにも、かえってこのくらいのほうが良い。
「へえー、綺麗ねえ。向こうの絵葉書って、なんか趣きがあってお洒落よね。ありがとう、額に入れて飾るわ。それにしても、篠宮くんが旅行なんて珍しいわね。どの辺りを回ってきたの?」
手にした絵葉書セットを裏返しにして、係長が端に印刷された文字を読み取ろうとする。これ以上世間話を続けて、彼女の貴重な休憩時間を削るのも心苦しい。そう考えた篠宮は、すぐに口を開いて答えた。
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