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まさかそんなこと

「あ、あのさ。こんなこと言ったら、アレかもしれないけど。もしかして篠宮くん、一緒だった?」 「えっ! いやあの、そっ、そんな訳」  柄にもなく慌てて、篠宮は一歩後ずさった。なんとか誤魔化そうとするが、頰に血が昇ってくるのだけはどうすることもできない。 「えっと……たしかカナダって、同性婚が認められてるんだよね。自国では結婚できないカップルが、結婚式を挙げるためにカナダに行くことがよくあるって、前にニュースかなんかで見たんだけど」  結婚式という単語のところで、牧村が意味ありげに篠宮の眼を見上げる。今すぐ逃げだしたい気持ちを抑え、篠宮はどうにかその場に踏みとどまった。  顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。手をつなぎキスをして、お互いに愛を囁き合い……どんな恋人にも負けないほど濃密に睦み合った数々の記憶が、胸を通り過ぎていった。 「いやー、悪いこと聞いちゃったな。結城くんが篠宮くんを大好きなのは知ってたけど、まさかそんなことになってるとは思わなかったからさ。大丈夫、俺、誰にも言わないよ」 「いえあの。『そんなこと』って……違います、誤解です」 「いやいや篠宮くん、もういいんだよ。大丈夫。じゃあ俺、昼飯食ってくるからさ」  達観しきったような口調で手を振り、牧村は背を見せて去っていった。  愕然とする思いで、篠宮は牧村が通った出入り口をぼんやりと見つめた。決定的な一言こそ口にしていないが、これでは結城と付き合っていることを認めてしまったも同然だ。単なる友人同士ならいざ知らず、こんなに毎日好きだ好きだと騒いでいる相手と一緒に旅行するなんて、怪しいどころの話ではない。 「あ、篠宮さん! おはようございます。もうこっちに来てたんですね」  牧村と入れ替わりに結城が入ってくる。おそらく昼食を済ませ、午後の仕事に戻ってきたのだろう。篠宮の顔を見ると、見えない尻尾を振りながら嬉々として走り寄ってきた。 「メールチェックして、十時までに来た発注は済ませときました。あと、篠宮さんの代わりに十時半から会議に出席して、議事録をまとめておきました。言われてたファイルの整理も終わりました。午後はどうしましょうか?」 「自分で考えろ……」  とりあえず午前中はまともに働いていたことを確認すると、篠宮は投げやりな声で言い放った。 「えー、ひどいなあ。もう、篠宮さん。なんで機嫌悪いんですか? 俺、真面目に仕事してたのに」  上司の冷たい言葉にもめげず、結城が拗ねた表情で篠宮を見上げる。篠宮は思わず嘆息した。甘えるように顔を覗きこむ、その人懐っこい瞳がどうしようもなく可愛くて、そう思ってしまう自分に余計に腹が立つ。

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