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ぜんぶ許しちゃう
「……盆明けは、お客様も仕事が溜まっていて忙しいはずだ。夏休み気分も抜けて、午後は本格的に、注文や問い合わせがかなりの数になってくると思う。二人で手分けして片付けていこう」
「はい!」
結城が威勢よく返事をする。とにかく気持ちを切り替えて仕事に向かおうと、篠宮が自分の机のほうへ歩きだしたその時だった。
「そういえば。さっきそこで、牧村さんとすれ違ったんですけど……」
結城が思い出したように呟く。牧村の名を聞き、篠宮はぎょっとして跳び上がった。
「そっ……それがどうかしたのか」
「いや、別に……篠宮くんに会えて良かったねって言われたから、はいって元気よく答えただけなんですけど。なんか、今になってこう思ったんですよね。こんだけ篠宮さんを好き好きって言ってる俺が、休み中いちども篠宮さんに会わなくて平気だったなんて、ちょっと不自然かなって。どうします、篠宮さん? 自然に見せるために、プライベートでも会って食事しましたー、くらいは言っといたほうがいい?」
「馬鹿。やめろ」
埒もない結城の台詞を、篠宮は無遠慮にさえぎった。
「もー、冷たいよ篠宮さん! でも……へへ。その怒った顔も可愛いから、ぜんぶ許しちゃう」
だらしなく頰を緩める結城を見て、篠宮は溜め息をつきながらも、つられて笑みを返した。
篠宮くんに会えて良かったね。結城はその言葉を、休み中は会えなくて寂しかっただろうという意味に取ったらしい。だが真実の意は別にあることを、篠宮だけは知っていた。
この広い世界の中で、心から愛し愛される人にめぐり逢えて、本当に良かったね。牧村係長補佐はきっとそう言いたくて、その言葉を口にしたのだろう。
結城が入社初日に上司にプロポーズしたのは、一部では有名な話だ。時が経つにつれ、どうやら本気らしいと周りの皆も気づいたようだが、それでも結城の想いを馬鹿にしたり蔑んだりする人はいなかった。
山口と佐々木は、結城のあまりの盲愛ぶりに辟易しつつも、時折からかいの種にしながら見守ってくれている。隣の商品企画部の女性たちもそうだ。天野係長は、自分と結城が恋仲であることを知っても、誰にも言わず秘密を守ってくれている。結城の気持ちを表立って否定する人が居ないのは、一途で純粋な彼の想いが、周りの皆にも伝わっているからかもしれない。
「結城……」
「え?」
自分たちの仲を、牧村係長補佐にも知られてしまった。そう言おうとして、篠宮は思いとどまった。事実を知る者が一人や二人増えたところで、結城の愛情表現がいきなり慎み深くなるとは思えない。その点を考えてみると、今さら牧村係長補佐に知られるくらい、どうでもいい事のように思えてくる。
「……いや、なんでもない。もう一度、新しいメールが来ていないか確認してくれ」
「はーい」
椅子に腰掛け、結城がパソコンのロックを解除した。
整ったその横顔をちらりと眺める。深呼吸と共に気を引き締め、篠宮は新たな思いで午後の仕事に取り組み始めた。
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