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どんぶり飯三杯はいける
「馬鹿。君のは単にしつこいだけだ。もっと頭を使って、あの手この手の搦め手で攻めろ」
話しながらだんだんと近づいてくる結城の顔を、篠宮は肩に手をかけてぐいと引き離した。これだけ言っているのに、いまだに隙あらば社内で不埒なことをしようとするから困ってしまう。
「それにしても……なんだって、よりによって保育園なんだ。君はともかく、私にそんな話を持ってくるなんて、嫌がらせ以外の何物でもないぞ。私は子供は苦手なんだ。やかましいし我がままだし、すぐ泣くし……」
社命には従うべきと思いつつも、諦めがつかず、篠宮は小声で文句を言い続けた。
「えー。保育園楽しそうじゃん! 子供たちに囲まれて困ってる篠宮さんを想像するだけで、どんぶり飯三杯はいけるよ!」
「保育園が楽しいんじゃなくて、君が楽しいだけだろう……」
「はは。バレた? 雑誌が発売されたら俺、最低でも十冊は買いたいな。ここに写ってるすっごい美人は、何を隠そう俺の恋人ですって、みんなに自慢したい」
「馬鹿。隠せ」
思わず怒鳴りつけようと、篠宮が口を開く。次の瞬間、いつもは人懐っこい結城の瞳が、不意に真面目な光を浮かべてすっと細められた。
「でもさ。こんなこと言うのは癪だけど、エリックの奴、やっぱり引き抜かれてここに来ただけのことはあるね。うちのグループ内に保育サービスの会社があるってことを生かして、あの企画を立てたわけでしょ? 会社のイメージアップを図りながら、新発売の商品の宣伝も兼ねる……なかなか考えつくことじゃないよ」
そんなものだろうか、と篠宮は皮肉げに考えた。自分に関係ないところであれば、何をしてくれようと構わない。だが自らが『保育園』などという、誰が考えても似合わない場所に駆り出されるとなれば、話は別である。
「発想が独特なのは認めるが……だからといって保育園との交流の様子を載せるなんて、今までの特集の流れからすると、あまりにも突飛じゃないのか。社内研修だとか環境への取り組みだとか、ありきたりな記事でも、私は別にいいと思うが」
「駄目駄目! そんな風に消極的に考えてちゃもったいないよ。せっかくただで宣伝してもらえるんだから、その機会は最大限に活かさないと。雑誌の取材の話に対して、あんな企画を考えつくなんて……さすが今までいろんな所で実績を上げてきただけのことはあると思って、ちょっと感心したよ」
事あるごとに言い争いをしている結城とエリックは、まさに犬猿の仲であるといっていい。そんな結城が自分の感情にとらわれず、今回の件を冷静に判断しているのを知って篠宮は意外に感じた。
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