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文句を言いつつも

「でも、私が好きなのは奏翔(かなと)お兄ちゃんだけなんだ。ご飯を食べる時も遊びに行く時も、きっと奏翔お兄ちゃんと一緒だと思う。私と結婚しても、私が奏翔お兄ちゃんとばかり遊んでいたら、君は嫌な気持ちになるんじゃないかな」  そう穏やかな口調で言い聞かせると、彼女は子供なりに篠宮の思いを察したのか、真剣な表情でうなずいた。 「わかった。じゃあ、あきらめる」  女の子が不承不承といった様子で呟く。子供相手とはいえ、女性からのプロポーズを断わってしまったことを篠宮は心苦しく思った。 「君と結婚できなくて、なんというか、その……ごめん」  幼い子にも分かる詫びの言葉はなんだろうかと思案しながら、とりあえず頭を下げる。済まない。申し訳ない。悪いと思っている。いろいろ考えたが、結局『ごめん』という、まさに子供じみた単純な言葉しか出てこなかった。 「ううん、だいじょうぶ」  篠宮の言葉を聞いた途端、彼女は五歳の少女とは思えないほど、実に毅然とした態度で顔を上げた。 「まさゆみお兄ちゃん、いっしょにおりがみしてくれてありがとう。バイバイ」  きっぱりとした口調でそれだけ告げると、女の子は駆け足でクラスの仲間の居るほうへ去っていった。 「あ……」  走っていく彼女の後ろ姿を、篠宮は呆然と見送った。年端もいかない少女だというのに、もう大人の女の処世術を身につけている。女性とはそういうものかと思って、なんともいえずそら恐ろしい気持ちになった。 「もう篠宮さん、なんでそんなにポーっとしてんの? もしかしてちょっと未練あったりする? あの子、美人になりそうだもんね! うう……でも篠宮さんをいちばん愛してるのは俺だから! あんな子供になんか負けないよ!」  隣にいる結城の声で、篠宮は唐突に我に返った。そうだ、今は仕事中だ。 「馬鹿。二十歳も離れた子供に、未練なんかあるわけないだろう。私にはそういう趣味はない」 「じゃあどうしてそんなに湿っぽくなってるのさ! あの子が美人だってこと以外に、なんか理由でもあるの?」  結城が身をもみ絞って問い詰める。ほんの一瞬の間に『美人になりそう』から『美人』に昇格していたが、篠宮はあえてそこに突っ込みを入れるのはやめておいた。 「いや……考えてみれば、ラブレターと呼ばれる物を貰ったのは、生まれて初めてだと思って」 「ぎゃー! 篠宮さんの『初めて』の先越された!」 「いちいち騒がしい奴だな……」  恋文ひとつで嫉妬の炎を燃やす結城を見て、篠宮は苦笑した。口では文句を言いつつも、こんなに一途に自分を想ってくれる結城の気持ちを嬉しく感じてしまう。

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