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いくらなんでも心配しすぎ
その週の土曜日。コンビニから帰ってきた篠宮は、自宅の玄関の鍵を開け、昼食の入ったレジ袋をテーブルの上に置いた。
ポケットの中の電話が鳴っているような気がして、慌てて服を探る。取り出して画面を眺め、篠宮は落胆の溜め息をついた。電話など鳴っていない。着信に過敏になるあまり、ありもしない振動を感じる……幻想振動 というやつだ。
心を落ち着けるため、篠宮は眼を閉じて深呼吸をした。いつもより頰を赤く染め、手で額を押さえた結城の顔が浮かぶ。
深く息をついてはみたが、思ったほどの効果は得られなかったらしい。眼を開き、篠宮は未練がましく再び画面を見つめた。もしかしたら連絡が来てはいないか。昨夜、仕事を終えて家に帰りついてから、そう思ってなんど画面を見返したか分からない。
普段なら結城と一緒にいるはずの週末を、今週に限って別々に過ごしているのには理由があった。
昨日の夕方の話である。あと一時間ほどで定時になるという時に、結城が急に『なんか熱っぽい』と言いだしたのだ。熱を測ってみると三十七・八度という数値だった。
少し残業があった篠宮は、とりあえず家で寝ていろと言って彼を先に帰らせた。高熱とまではいかないが、大事をとるに越したことはない。会社の仲間たちも、一も二もなく篠宮の意見に同意した。
いつも元気でうるさいくらいの彼が、熱のせいで辛そうにしているのを見ると、余計に心配になってしまう。結城が帰る間際、篠宮は密かに耳打ちして、残業が済んだら彼のマンションまで見舞いに行くということを告げた。
だが結城は意外にも『伝染 すといけないから』と言って、頑 なに篠宮の申し出を断わった。その後の連絡はない。家に帰っておとなしく寝ているのだろうとは思うものの、やはり気がかりだ。
メールのひとつでも送ってもおくか。それとも、具合が悪くて寝ているのだということを考慮して、あくまでも彼からの連絡を待つか。ふたつの考えの間でしばらく逡巡する。
ポケットの携帯電話が揺れたような気がしたのは、その時だった。
またか、と篠宮は溜め息をついた。これだけ立て続けに経験すれば、いいかげん慣れもする。ファントム・バイブレーション・シンドローム……本当は鳴ってなどおらず、そんな気がするだけだ。結城がちょっと熱を出したというだけで、こんな幻の着信を受け取ってしまうなんて、いくらなんでも心配しすぎなのかもしれない。
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