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高価そうな鞄

 携帯電話に表示された地図を時おこうしながら、篠宮は横断歩道を渡り、通りを突っ切って目的の店へ歩いていった。時刻は九時四十五分。下調べした情報を信じるならば、充分に間に合うはずだ。最終日ということでいつもより早く売り切れるかもしれないが、この時間なら確実に購入できるだろう。  綺麗に整備された花壇の横を通り、いわゆるタワーマンションと呼ばれる建物の角を曲がる。遊歩道の植え込みの奥に、鞄らしき物が捨ててあるのが見えたのはその時だった。 「……ん?」  篠宮は思わず立ち止まった。緑の葉の間に無理やり突っ込むようにして、何かが捨てられている。少し奥まった場所にあるせいか、他の通行人が気づく様子はなかった。  どこかの酔っ払いが忘れていったのだろうか。美しい街並みにそぐわない話だと思いながら、篠宮は向きを変えて植え込みのほうへ歩を進めた。  茂みの近くまで行き、それが間違いなく鞄であることを確認する。明るい茶色の、恐らく本革と思われる高級そうな書類鞄だ。  ボタンとファスナーはすべて開けられ、隙間から中身がのぞいている。第一印象で捨ててあると見えたのは、鞄の口がだらしなく開いていたからだった。  どことなく犯罪めいた匂いを感じて、篠宮は眉をひそめた。見るからに値段の高そうな革鞄が、こんな風に雑然と放り投げられているなんて尋常ではない。  大きく開いた鞄の口から、篠宮は注意深く中を覗きこんだ。中身はさほど多くない。男物と思われる黒い財布と、書類のような紙が何枚か入っているだけだ。とりあえず、爆発物めいた物は見当たらなかった。もっとも爆薬や毒物で事件を起こすつもりなら、こんな革鞄に入れる必要はない。もっと目立たない、紙袋かレジ袋を使うだろう。  もしかしたら、ひったくりの被害者の持ち物かもしれない。ふとそんな考えが頭に浮かぶ。鞄などを盗んだ後、犯人が自分の身に証拠を残さないために、不要な物を遺棄していくのはよくある話だ。鞄や財布も売れば金にはなるが、売買が絡むとなればそのぶん足もつきやすくなる。  ポケットからハンカチを取り出し、篠宮は慎重に自分の手を覆いながら茂みの中の鞄を引っ張り出した。めぼしい物は盗られてしまっているに違いない。だが、この高価そうな鞄だけでも手元に帰ってくれば、持ち主はきっと喜ぶだろう。  中にあった黒の長財布を開き、篠宮は何が入っているかを注意深く確認した。中にはクレジットカードの類が数枚入っているだけで、連絡先が判るような物は何もない。カードの表には『ハジメ タチバナ』と記載されていた。

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