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生まれ持った気質

 絵を描いたりピアノを弾いたりといった優雅な趣味は、自分にはない。しがない会社勤めの自分と、働かずとも食べていけるだけの収入がある橘。年齢だって八つも離れている。それにも関わらずどこか共通点を感じるのは、生まれ持った気質が似ているからなのだろう。 「あなたの恋人に怒られてしまいますか?」  申し訳なさそうな表情で、橘は篠宮の眼を見つめた。  普通であれば同性の友人をつくったくらいで、恋人に文句を言われる筋合いはない。だが、恋人が同性だった場合はどうだろうか。相手を差し置いて同性の友人をつくるのは、たしかに微妙な問題を孕んでくるかもしれない。そこまで配慮してくれる橘に、篠宮は細やかな心遣いと思いやりの深さを感じた。 「まさか。浮気ならともかく、友人との付き合いに文句をつけるような、そんな了見の狭い男じゃありませんよ」  篠宮は力強く請け合った。嫉妬深くて心配性の結城だが、最近は付き合いも深まってきたためか、ちゃんと自分が愛されているという自信はあるようだ。結城を放ったらかしにしてメールの遣り取りをしたり、二人きりで密室に籠りでもしないかぎり大丈夫だろう。牧村係長補佐と一室に泊まった時だって、なんとか許容してもらえたのだ。 「じゃあ……なっていただけますか? その……友達に」 「ええ、良いですよ」  篠宮はうなずいて快諾した。友達になってくれと率直に申し込まれた時は驚いたが、よくよく考えてみれば、初対面のその日にいきなりプロポーズしてきた奴もいるのだ。このくらい、驚くには当たらない。 「ありがとうございます。ああ、そうそう……次にいつお会いできるか分かりませんが、一応これをお渡ししておきますね」  橘が、上着のポケットから名刺のような物を取り出した。  渡されたカードを、篠宮はまじまじと見つめた。名刺と見えた物は、どこかの店のショップカードだったようだ。  画廊のような室内の写真と共に『アートギャラリー』の文字がある。アマチュアの画家や陶芸作家が個展を開くためのレンタルスペースらしい。駅から近く、ここからもそう遠くない場所だ。 「来月の一日(ついたち)から一週間、ここで個展を開くんです。平日はもちろん無理でしょうが、土日にでも来ていただけたらと思って。どうせ閑古鳥が鳴くに決まっていますので、篠宮さんがサクラとして来てくださったら、私も気が紛れます」 「ご謙遜でしょう」 「いえいえ、本当ですよ」  ずれた眼鏡を片手で直しながら、橘がきまり悪そうに笑う。  篠宮はちらりと窓の外に眼を向けた。石畳と街路樹の美しいこの街で、たまにはゆっくり絵画など鑑賞してみるのも悪くない。橘の話がどこまで真実なのかは分からないが、たまたま前を通りがかった人が、客の居ない画廊に入るのに勇気がいるのは事実だ。たとえ自分一人といえども、足を運べば多少は集客に効果があるかもしれない。 「絵というのは、水彩ですか」 「いいえ、油です。手間はかかりますが、楽しいですよ」 「そうでしょうね。面白そうです」  社交辞令ではなく、篠宮は心からそう思って相槌を打った。下準備や乾燥に時間がかかる油彩画は、水彩画にはない表現の幅広さが魅力だ。この穏やかで優しげな男がどんな絵を描くのか、単純に興味がある。 「よろしければ、彼氏さんと一緒に。いらしていただけたら、お茶くらいお出ししますよ」  無理にとは言いませんので、あくまでもお暇でしたら来てくださいね。篠宮に気を遣わせないためか、橘は丁寧にそう付け加えて微笑んだ。

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