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資産家の息子

「……見たことのない紅茶だな。買ったのか」  照れを隠すため、篠宮はたまたま眼に留まった紅茶の缶に話題を移した。 「ああ、これ? うちの親父がこの前、どっか外国の、なんだかっていう政治家の人と会食したらしいんだよねー。そん時のお土産で買ってきてくれてさ」  結城の適当な説明を聞きながら、篠宮は橘のことを思い出した。金持ちなど縁がないと思っていたが、よくよく考え直してみると、それに該当する人物はすぐ近くに存在する。 「考えてみれば、君も資産家の息子なんだな」 「へ? なに、急に?」 「いや……結城。君の趣味はなんだ?」  いきなりの質問に不思議そうな表情をしつつも、結城は口許に手を当てて思案顔になった。 「趣味……? まあ俺の一番の趣味は、篠宮さんを愛でることだけど。あとは料理かな。あ、ゲームも好きだよ。ハンターズワールドの新作が、こんど新しいハードで出るんだ。無駄遣いしないように、今から貯金しとかないと」  心から楽しみだとばかりに、結城が相好を崩す。多趣味な彼のことだから、探せば他にもあるかもしれないが、とりあえずはいま挙げたもので楽しく一日を過ごすことができるようだ。軽くうなずいてから、篠宮はさらに言葉を継いだ。 「君には母親違いのお兄さんがいるだろう。社長と、亡くなった奥様の間にできたご長男だ」 「うん」  素直に結城は首を縦に振った。腹違いではあるものの、家族の仲は良好だと聞いている。話題に出したところで、特に気まずくなることもない。篠宮はそのまま話を続けた。 「実を言うと、私が入社してまだ間もない頃、イベント後の懇親会で君のお兄さんとお会いしたことがあるんだ。ほんの二、三分程度ではあるが、少しお話もさせていただいた」 「え、ちょっと待って!」  結城が慌てた顔で大声を出す。その必死の形相に、篠宮は驚いて話を中断した。 「何か問題があったか」 「大ありだよ! それじゃあ兄貴は、俺よりも先に篠宮さんと出会ってたってこと? しかも『話した』って! この俺を差し置いて!」 「……そこは別にどうでもいい」  くだらない事を気にするんじゃない。そう言い添え、篠宮は結城の額を指先で軽く小突いた。 「君が話の腰を折るから、何を話していたのか分からなくなったじゃないか。ああ、そうそう……その話の中で君のお兄さんが、自分の趣味はラーメンの食べ歩きだとおっしゃっていたんだ」 「うん。うちの兄貴、昔からラーメン好きなんだよね。あと、カップ麺の食べ較べもよくやってるよ。一時期、そのせいで体型が緩んできちゃってさ。兄貴もさすがに、こりゃやばいと思ったんだろうね。一念発起してジムに通い始めたら、今では逆に腹筋がバキバキに割れ……あっ!」  唐突に声を上げ、結城が自分の腹部に手を当てる。ボディビルダーのようなこれ見よがしの筋肉は付いていないが、適度に引き締まった、ダビデ像を思わせる身体だ。その事を思い出して、篠宮は心臓が跳ね上がるのを抑えるためそっと眼をそむけた。

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