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一刻も早く

「篠宮くん、大丈夫? ひどい顔色だわ」  色めき立つ皆の間を縫って、天野係長が篠宮のすぐそばに近づいてきた。 「さっきも言ったけど、命に別状はないはずよ。気をしっかり持って」 「……はい……」  ようやく絞り出した返事は、自分でも判るほどに震えていた。 「篠宮くんにお願いがあるの。聞いた話だけでは判断できないから、上司として、あなたが結城くんの様子を確認してきてくれないかしら。さっき事故の連絡を受けた後、すぐにタクシーを呼んだの。五分もしないうちに来るはずだから、それに乗ってお見舞いに行ってきて」  両脚を踏ん張り、篠宮は崩れそうになる自らの膝を必死で支えた。動揺が強すぎて、天野係長の命令に無言でうなずくことしかできない。それでも彼女が、結城の恋人である自分を気遣ってタクシーを呼んでくれたことは理解できた。 「状況がはっきり分かったら、会社にも連絡をちょうだい。業務のほうはこちらでなんとかするわ。急ぎの仕事はある?」 「……行橋商事さんが、月曜日に急ぎの発注があると……社内の意見を取りまとめて、朝一で相談のメールを送ると言っていました。メールのチェックは、まだしていなくて」 「解った。そっちのほうは心配しないで。あたしのほうで、出来る限りのサポートはしておくわ」 「済みません……よろしくお願いします」  半ば上の空で頭を下げ、篠宮は階段を降りて表の門へ向かった。  ともすれば倒れそうになる身体を立て直し、どうにか道路まで出てタクシーに乗り込む。運転手はすでに指示を受けていたようで、行き先を尋ねてくることはなかった。 「お客さん、済みません。シートベルトしてもらえますか? 規則なので」 「あ、ああ……済みません」  ベルトの着用を促す運転手の言葉を聞き、篠宮はどれだけ自分が心乱れているかようやく思い知った。普段の自分なら、こんな基本的な交通ルールを忘れることなどあり得ない。  車が発進するのと同時に、篠宮は震える手で電話を操作して最新のニュースを見た。通行人を巻き込んだ交通事故が、朝の八時二十八分頃に発生。二人が死亡、意識不明の重体が一人。重傷が三名、軽傷が一名だという。  命に別状はない。天野係長がそう言っていたことを篠宮は思い出した。  命に別状がないというのは、どういう状態なのだろうか。表現の仕方は人によって様々だ。悲惨な事故に遭い、たとえ両手両脚を失うことになったとしても、命に別状がないことには変わりない。  胸が千切れるような思いで、篠宮はくちびるを噛み締めた。一刻も早く安否を確認したいような、永遠に現実を知りたくないような、複雑な気持ちが身体中を苛んだ。

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