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最悪の想像

 交通事故で死んだという父の遺体は、損傷が激しかったらしく、見せてもらうことはできなかった。今になって、その意味がずっしりと重くのしかかる。もし、結城がそんな目に遭ったとしたら。そう思うと全身から血の気が引いた。  自らの腕を抱えこみ、篠宮は結城の肌の温もりを思い出した。昨日、彼はその温かな腕で自分を抱き締め、愛していると言ってくれた。いかにも二十代の健康な男性らしい、若く美しく均整のとれた肢体。あの身体が二度と癒えない傷を負うなんて、何があろうと認められることではない。  考えれば考えるほど、最悪の想像が胸を埋め尽くしていく。真実を知る覚悟のできないまま、篠宮を乗せたタクシーは緩やかに減速し、病院の前に停まった。  虚ろな眼で、篠宮は辺りの様子をざっと確認した。白い外壁が眩しい、敷地内に理髪店や飲食店も隣接している総合病院だ。 「あ。済みませーん」  いま退院したばかりらしい、大きな荷物を持った女性が、丁度よくタクシーが空きそうなのを見て手を挙げる。篠宮と入れ替わりで乗るつもりのようだ。 「五千八百六十円になりまーす」  朝からうまい仕事にありつけて、上機嫌だったのだろう。急に愛想良くなった運転手の声が、場違いなほどに軽く響く。  財布から金を取り出し、篠宮は運転手の手に無造作に押しつけた。降りようとしてふらつく足許を、補助グリップにつかまってなんとか支える。これでは自分自身が事故に遭ってしまいそうだと、篠宮は妙に醒めた頭で考えた。 「あっ、お客さん! お釣り!」 「要りません……」  独り言のように呟き、篠宮は重い足を引きずりながら、入り口に向かって歩き始めた。  受付で面会の申し込みを済ませ、結城が入院しているという病室に向かう。アルコールと薬品の匂いが漂う廊下を、篠宮は一歩一歩踏みしめるように歩いていった。  部屋の前まで来ると、篠宮は死刑宣告を受ける思いで中をそっと覗きこんだ。  開いたドアから、何台かのベッドが見える。(から)なのか、それとも何かの検査にでも行っているのか、篠宮の立つ位置から患者の姿は一人も見えなかった。  視線を上げ、篠宮はドアの横にあるプレートを確認した。病室の番号は間違いない。思いきって部屋に飛びこむと、先程は死角になっていた奥のベッドに、誰か人の居る気配があった。  震える胸を押さえ、早足で部屋の奥に歩み寄る。開けっ放しの間仕切りカーテンの向こうに、結城が寝転がって新聞を読んでいるのが見えた。

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