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泣かないで

「あ、篠宮さん! 来てくれたの?」  篠宮の姿を認めるやいなや、結城は歓声を上げて起き上がった。手に持った新聞を傍らに投げ捨て、満面に喜色をたたえてベッドの上に座り直す。篠宮が想像していたような、身体中に巻かれた包帯やギプスはどこにも見当たらなかった。 「いやー、災難だったよ。朝、普通に出勤しようと思って歩道を歩いてたら、急に後ろからガンガンッて音が聞こえてさ。振り向いたら、こっちに向かって乗用車が突っ込んでくるんだよ。ほんと笑っちゃうよね、あはは。まあガードレールのおかげで直撃はしなかったんだけど、そのガードレールの端っこが、ちょっと脚に当たっちゃってさ。なんていうか、玉突き事故? けっこう大きな事故だったみたいで」  ベッドの上であぐらをかき、結城は眼を細めて明るい声で笑った。 「警察の人も混乱してたみたいでさあ。問答無用で救急車に押し込まれるし、持ち物は取り上げられちゃうし、ほんと勘弁……え、篠宮さん。どうしたの?」 「ばっ、馬鹿! 私がどれほど心配したか……!」  無事と分かった途端、何よりも先に恨み言が口をついて出る。緊張の糸が切れ、堰を切ったように涙が溢れだした。 「えっ? ちょ、ちょっと待って!」  突然の涙に驚いたのか、結城は慌てた顔で身を乗り出した。 「大袈裟だよ……ほら、見て? ほんとにかすり傷なんだから」  うろたえた声を出しながら、結城はズボンの裾をめくってみせた。右脚のすねに、軽い引っかき傷が二本ほどできている。  たしかにこの程度なら、日常生活でも起こりうる怪我だ。心配するほどのことではないと頭では理解したのに、それでも涙が止まらない。 「そっか……篠宮さんのお父さんって、交通事故で亡くなったんだっけ」  少しでも気持ちを鎮めようと思ったのだろうか。優しく腕を差し伸べ、結城は腰に手を回して篠宮をベッドの縁に座らせた。 「結城……」  流れ落ちる涙を隠そうともせず、篠宮は結城の身体を髪の毛の一本から足の爪の先まで見つめた。  手も足も、眼も口も鼻も耳も、すべてが自分の知っているままの彼だ。ただのひとつも欠けている所はない。それがどれほど得がたい事であるのか、篠宮は初めて思い知った。 「安心して。俺は大丈夫……大丈夫だから」  力強く抱き締める腕を感じ、篠宮は我を忘れて結城の襟元に顔を埋めた。もう誰に見られてもいい。押し寄せる安堵の思いが、世間体を気にする心を上回った。 「泣かないで……心配かけてごめん。これからは下らないことに巻き込まれないように、もっと気をつけるよ」  肩をそっと撫で、結城が涙を封じるように両の瞼にキスをする。恋人の安否を思って千々に乱れていた心が、触れ合う肌の温かさを感じてゆっくりと凪いでいった。

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