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美しい空の下

「うん。兄貴が明日、入籍を終えたらその足でこっちに来て、親父に結婚の報告をするらしいんだよ。奥さんのほうは身重だから、大阪でお留守番ってことになっちゃうとは思うんだけどさ。兄貴が来るんなら、親父が家でお祝いしたいって言ってるみたいで」  話しながら、結城は微かに眉を寄せて困ったように笑った。 「うちの親父、酒好きでさー。お祝い事となったら、めちゃめちゃ美味い酒、大量に用意すると思うんだよね。俺も兄貴も、日曜はたぶん二日酔いで動けないんじゃないかな。でもまあ、めでたいことだしさ。兄貴とは正月に会ったきりだから、俺もたまには顔出しとこうかなと思って」  身内のお祝いと聞いて、篠宮は何も言えずに黙りこんだ。それでは明日も明後日も、結城と出かけることはできない。個展の期間は一週間と言っていたから、今回の土日を逃すと、行ける機会はもう無いということになる。  残念な気持ちを必死に押し隠したつもりだったが、実際のところは顔に出ていたらしい。篠宮の口許をちらりと見て、結城は気遣うように優しく微笑んだ。 「あ。篠宮さん、なんか不満そうな顔してる。もしかして、俺と日曜日までラブラブしたかった? 先週デートできなかったもんね。しょうがないなあ。もし篠宮さんが俺と過ごしたいなら、どうにかして酒は断わって、日曜日早めに戻ってくるけど?」 「いや……せっかくのお祝いなんだ。楽しんできてくれ」  秋晴れの美しい空の下、結城と二人で他愛ない話をしながら、あの洒落た街並みの中を歩いてみたかった。その思いを、篠宮はそっと心の中にしまいこんだ。子供じゃあるまいし、こんなところで我がままを言うべきではない。  仲の良い兄が久しぶりに大阪から来るのだ。会ってお祝いの言葉を贈りたいと思うのは当然だろう。橘のことは、機会さえ作ればこの先いつでも紹介することができる。別に今週である必要はない。 「ごめん、ほんとにごめん! その埋め合わせってわけじゃないけどさ。来週はどっか行こうよ。どこがいい? やっぱ動物園か水族館が定番かな? 猫カフェとかもいいよね。あ、篠宮さんとだったら図書館デートもいいかも! 篠宮さんも考えといてよ。俺、篠宮さんと行けるならどこでもいいから」  楽しげに呟き、結城は篠宮のくちびるにそっとキスをした。 「ねえ篠宮さん、今日は一緒にお風呂入ろ? 俺が髪洗って背中も流してあげる。ベッドに行ったら、篠宮さんがもういいって言うまで、一晩中でも可愛がってあげるから。入院するなんていって心配かけちゃったから、そのお詫び」 「そんなお詫びの仕方があるか……馬鹿」  甘い眼差しで見つめられ、篠宮は思わず顔をそむけた。胸の底が熱くなり、鼓動が速くなっていく。もう数えきれないほど肌を重ねたはずなのに、いまだに恥じらいを感じてしまうのは、自分の恋人が魅力的すぎるからなのだろうか。 「ね……篠宮さん。こんなこと言って、怒らないでほしいんだけどさ。あのとき篠宮さんの涙を見て……こんなに心配してくれたんだと思ったら、正直言って嬉しかった。本当に俺のこと愛してくれてるんだなって思ったよ」  ソファーに片手をついて自らを支え、結城が頭を預けてくる。愛しさが込み上げてきて、篠宮はその背中に腕を回して強く抱き締めた。 「篠宮さん。俺のこと好きになってくれてありがとう。これからもずっと、俺だけを好きでいて」 「……ああ。私には君だけだ」  どちらからともなく唇が重なる。交通事故と聞いて気が遠くなるほどに心を痛めたが、大した怪我ではなくて本当に良かった。いつもと変わらぬ温もりをしっかりと胸に抱きながら、篠宮はその有り難さをしみじみと噛み締めていた。

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