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不幸を嘆くより

 窓から入ったそよ風に優しく頰を撫でられ、篠宮は眼を覚ました。  仰向けになり、まだ眠気の覚めやらぬままぼうっと天井を見つめる。背の下には柔らかな布団と、最高級といってもいい、心地好いマットレスの感触。胸がすくようにさわやかな、柑橘系の香水が微かに香った。結城が使っている香水の匂いだ。  ……ああ、夢だったのか。そう思った瞬間、夢の内容が鮮明に脳裏に甦った。  会社の後輩である結城に、叶わぬ想いを抱いている自分。死ぬまで心に秘めておこうと密かに誓っていたのに、ある日その彼から唐突に、いま付き合っている彼女と結婚するのだと告げられる……そんな夢だ。  なんという荒唐無稽な夢だろうか。現実の結城は、暇さえあれば愛していると言い、結婚してほしいと毎日のようにせっついている。それにもかかわらず、恋人に見合い写真が来たというだけで、こんな夢を見るなんて。  どこまでも悲観主義な自分に嫌気がさして、篠宮は朝から沈んだ気持ちになった。恋人が見合いの話に乗り気だというのならともかく、結城は、余計な縁談などに興味はないとはっきり言ってくれているのだ。  君が女性と結婚する夢を見た……自分がそんな話をしたら、きっと結城は呆れ返るに違いない。  元からあまり楽観的な性格ではなかったが、最近、それに拍車がかかっているような気がする。いつからそうなってしまったのだろうと考えて、篠宮はある事に思い当たった。結城が入院する原因になった、あの交通事故があってからだ。  あの事故以来、どうも心が落ち着かない。ちょっとしたことで動揺し不安になってしまう。たしかにショッキングな出来事であったのは事実だ。とはいえ、いくらなんでもそろそろ立ち直っていい頃である。  彼の脚の傷はほぼ治り、今ではよく見ないと判らない程度になっている。もちろん後遺症など何もない。事故に遭った不幸を嘆くより、大した怪我ではなかったことを喜ぶべきだろう。 「ん……?」  何かちくちくとした物が肩に触れるのを感じ、篠宮はベッドに片肘をついて身体を起こした。掛け布団の下に、小さなビニールの袋のような物が落ちている。 「あ……」  それが空になった避妊具の袋だと知り、篠宮は思わず赤面した。結城が昨夜使った時に、ベッドの中に紛れ込んだのだろう。  甘い声を上げて何度も達してしまった自分を恥ずかしく思い出しながら、篠宮は空袋をそっと(そば)のごみ箱に捨てた。あれほど心ゆくまで愛されたのに、こんな不吉な夢を見るなんて、我ながらどうかしている。

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