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確かな息遣い
感情が凍りつき、涙さえ出ない。なぜこいつらはこんなに淡々と、彼の死を受け入れられるのか。お別れできて良かったと思う……そんな日など、来るわけがない。口先だけで分かったようなことを言いながら、実際はこの中の誰も、自分の気持ちなど解ってはくれないのだ。
皮肉のひとつも言ってやりたかったが、ひゅうひゅうという風の音が喉を通り抜けるばかりで、声にはならなかった。
『ほら、車から降りてください。肩なら、いくらでも貸しますから。おい、佐々木。俺が右側につくから、おまえ反対側に立ってくれないか』
『ああ。解った』
細身ながらも上背のある山口が、思いのほか強い力で篠宮の肩に手をかける。それを手助けする形で、佐々木が反対側の肘をつかんだ。後輩の二人が左右の腕を握り、一気に力を込めて篠宮を無理やり車から引きずり降ろそうとする。
『やめろ……離せ!』
恋人の死の知らせを聞いてから、衝撃のあまり失われていた声。渇ききった喉から掠れた声が洩れ、激しい抵抗の言葉を紡ぎ出した。
『嫌だ! やめてくれ!』
車を出たとたん膝を折り、篠宮はアスファルトの上に突っ伏した。これは何かの間違いだ。通夜に出席するわけにはいかない。結城の死に顔を見てしまったら、彼の死を受け入れないわけにはいかなくなる。
『結城! 結城……なんで、ここに居ないんだ……どこに居るんだ……来てくれ、結城。早く』
悲痛な声で叫びながらも、篠宮は頭の中で理解していた。この先いくら呼んでも、彼がそばに来てくれることはない。あの少し鼻にかかった甘い声で、愛していると囁いてくれることは、もう二度とありはしないのだ。
『結城……!』
後に続くのは、もはや意味を為さないただの嗚咽だった。
強くなった雨が、篠宮の全身を、無慈悲な槍のごとく突き刺した。
「結城っ!」
自らの叫び声で、篠宮は眼を覚ました。
「わっ! ……何? ……篠宮さん!」
隣で、結城が慌てて飛び起きる気配がする。枕元の電気がつき、辺りをぼんやりと照らした。上半身を起こした結城が、何事かと焦った様子で篠宮の顔を見つめる。
「あっ……」
恐怖に肩を震わせ、篠宮は自らの腕を両手で抱えこんだ。まるで冷水を浴びせられたように、全身が濡れて冷えきっている。
雨のせい……一瞬そう考えてから、篠宮はすぐに、そんなはずはないと思い直した。今は雨など降っていない。あれは夢だ。考え得る限り、自分にとって最悪の夢だ。
「篠宮さん、どうしたの? やっぱりどこか調子悪い? それとも何か、嫌な夢でも見たの?」
額に張りついた髪を指先でかき遣り、結城が安心させるように優しい声で問いかける。
我を忘れ、篠宮は結城の裸の胸にしがみついた。その身体から、確かな息遣いと鼓動が聞こえてくる。夢うつつのまま混乱していた思考がはっきりし、急に意識が現実に戻ってきた。
「君が……交通事故で……!」
結城は生きている。そう確信した途端、涙が溢れてきた。病室で彼の無事を知った、あの時と同じだ。安堵が胸を満たし、篠宮はひたすら結城に抱きついて泣きじゃくった。
「えっ、ちょっと篠宮さん……たかが夢で大袈裟すぎない? もしかして俺、死んだ?」
取り乱した様子に驚きつつも、結城は腕を回して篠宮の身体をしっかりと抱き締めた。
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