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独り占めしたい

『たしかに、中にはそういう関係になったかたも何人かいらっしゃいます。でも、深い仲になった人はいませんよ。あなたには隠しておきたかったのですが、こうなったら下手に誤魔化しても仕方ありませんね。こんな話をして申し訳ありません。きっと私のことを軽蔑なさったでしょうね』 「いえ、そんなことは……ちょっと驚いただけです」  橘がそういった類の男たちを相手にしてきたと聞いても、篠宮は自分でも意外なくらい、なんの感情も抱かなかった。  自分は橘に独占欲を感じていない。心から愛し、独り占めしたいと思う相手は結城だけなのだ。この瞬間、篠宮ははっきりとそのことを自覚した。 「では橘さん。お約束どおり、明日の十一時頃にお伺いいたします。どうぞよろしくお願いします」  何事もなかったかのように、篠宮は明日の予定をもういちど口に出して繰り返した。  結城が多くの女性と付き合っていたと聞いた時は、あんなに動揺し、いたたまれない気持ちになったのに。その彼に内緒で、自分は今、他の男の家に行こうとしている。  いったい、自分は何を求めているのか。自らの真意を計りかね、篠宮は電話が終わった後も、揺れ動く心を抱えながらその場にしばらく立ち尽くしていた。 『えへへー、楽しかった! また行きたいね』 『ああ。そうだな』  自分と結城の二人が、楽しそうに談笑しながら手をつないで歩いている。  デートの帰りだろうか。花屋に酒屋にコンビニエンスストア。美容院に食事処に、マンション建設中の表示がある工事現場。二人の周りには、よくある街の風景が広がっている。  それが何処なのかは判然としない。飽きるほど見慣れた街並みのような気もするし、まったく知らない場所であるようにも思えた。  ……また、あの夢だ。いい加減にしてくれと篠宮は思った。夢だとすぐに解り、結末も想像がついているのに、自分ではまったくコントロールができない。何もせずただ指をくわえて、最悪の事態を眺めていることしかできないのだ。  どうにかして、この不愉快な悪夢から逃れる方法はないものか。灼けつくような焦燥感に包まれながら、篠宮は仲睦まじく歩いていく自分たちを見下ろした。 『あれ。こんな道、ここにあったっけ』  左右に伸びる分かれ道に突き当たり、二人は立ち止まった。 『こちらの道を行こう。遠回りになるかもしれないが、歩道が整備されていて、歩くのが楽だ』  何事においても堅実で確かな道を選びたがる自分は、思ったとおり、綺麗に舗装された右側の道を選んだ。 『えー。こっちのほうが断然近道でしょ。こっちの道にしようよ』  どんな時でも遊び心を忘れず、冒険を好む結城が、砂利の敷かれた左側の道を選ぶ。 『いつもの道のほうが無難だろう……迷ったらどうする。君の言うとおり、左のほうが距離的には近いかもしれないが、大して変わらないはずだ』 『えー。ぜんぜん違うって。こっちの道なら、五分は短縮できるはずだよ』 『そんな訳ないだろう。歩き慣れているぶん、いつもの道のほうが早く着くはずだ。賭けてもいい』 『俺だって賭けてもいいよ。絶対、左の道のほうが早い』  挑戦的に眉を寄せ、二人は睨み合って対峙した。どちらも自分の意見を主張し、一歩も譲らない。その様子を、篠宮はどこか離れた場所から他人事のように見下ろしていた。 『じゃあさ。いったん分かれて競争しようよ。篠宮さんはこっちの道。俺はそっちの道』 『分かった。君がそこまで言うなら、そうしよう』 『じゃ、行くよ。よーいどん!』  一方的な掛け声と共に、結城が左の道に進む。嫌な予感が篠宮の胸をよぎった。 『待て、結城! そっちに行くな!』  声を限りに叫んでみるが、結城の耳にはまるで届かない。  数秒先の自分の運命も知らず、彼は歩いていく。足元の砂利道。マンション建設の立て看板。注意を促す黄色と黒のテープ。彼のはるか頭上には、工事現場のクレーンがあった。  ワイヤーロープが切れ、吊り下げられた鉄骨の束が、端から崩れるように外れる。  その下にいる人物がどうなるのか。それは、火を見るよりも明らかだった。 「……お客さまにお願いいたします。携帯電話をご使用の際は、周りのお客さまのご迷惑になりませんよう……」  頭上から流れるアナウンスの声で、篠宮は眼を覚ました。 「あ……」  篠宮は慌てて辺りを見回した。一瞬、ここが何処なのか判断に迷う。赤い背もたれの椅子が整然と一方向に並んでいるのを見て、篠宮はようやく、ここが新幹線の車内であることを思い出した。  前方にある電光掲示板は、次の駅が目的地だということを告げている。篠宮は胸を撫で下ろした。疲れが溜まっているせいか、うっかり眠りこんでしまった。夢見こそ最悪だったが、どうやら乗り過ごさずに済んだらしい。  結城に関しての不吉な夢を見るのは、もう何度めだろうか。不愉快なことには変わらないものの、さすがにここまで繰り返し悪夢を見ると、これが正夢でもなんでもないただの妄想だということは認識できる。寝呆けて大声を上げなかっただけ良しとしなければならない。深呼吸をして、篠宮は崩れ落ちる鉄骨の映像を頭から追い払った。

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