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第4話

 それから毎日、ミクリアはラウールの体を開発するために、さまざまな情交を繰り返した。 (まるで、愛人の元に足しげく通ってくるみたいだな)  ふっと口許に皮肉な笑みを浮かべて、ラウールは蜜酒の瓶に手を伸ばした。ミクリアはいつも土産に蜜酒の小瓶を持ってくる。香水瓶ほどのサイズの酒は、湯で割ったとしても、一日で空になる。  特別、酒が好きなわけではないが、ミクリアが帰ってから、情交の気だるさと喉の渇きを癒すために飲む習慣がつけば、これがないと日常を送れない気になってくるから不思議だ。 (待ち遠しく思うよう、仕向けられたか)  あるいは酒を飲みながら、思い出してほしいと願っているのか。  彼の言葉を信用すれば、自分は愛されているのだろう。だが、本気とは受け止めていない。憧れを慕情と勘違いしているのだと、ラウールは考えていた。少年期から青年へと変わる時期には、よくあることだ。 (俺が、ジーナ様を想う気持ちと同じものを、ミクリアは抱えている)  質の違う愛だと、若い彼は気がつけないでいる。のぼせていると言ってもいい。 (竜を退治した騎士に憧れて訪れている間に、親しみを覚えたんだろう。そこに俺の弱みを見て、助けたいと考えた……方法を知り、若い肉体に宿る性欲と結びつけてしまっただけだ)  繰り返し、愛していると言われても、あくまでも行為の最中にのみ通用しているものとしか、ラウールは感じていない。だが、とろける瞳で迫られるキスの瞬間だけは、心が震えてしまう。  彼が、王妃ジーナによく似ているからか。  清らかな高嶺の花を汚す妄想を、したことはない。親しみのこもった微笑を向けられるだけで、ラウールは満足だった。ほんの短い間、言葉を交わすだけで充分だった。彼女の生きる世界を守るために竜退治に志願し、見事やりおおせた時の彼女の安堵と尊敬を含んだ瞳の輝きに、心が震えた。  だから、醜い部分を隠したかった。  旅の間に生まれた己の残虐性を、知られたくなかった。  そのために森を望んだ。ここにいれば、万が一にも発作的に訪れる凶暴性を見られはしない。魔物の血の匂いに興奮し、より多くの命を求める浅ましい姿を知られる心配はない。 (それを、ミクリアに見られた)  気配に気づかなかったのは、うかつだった。血に飢えた意識が、獲物以外に向かなかったのだろう。つまりそれだけ、己は醜悪な獣と化していたのだ。  ヒヤリとして、ラウールは腕をさすった。  王妃ジーナと同じ容姿のミクリア。  彼に獰猛な姿を見られただけでなく、淫欲に乱れる様子もつぶさに眺められている。いや、彼の指で快楽を引き出されているのだから、翻弄されていると言うべきか。  ほんの一瞬、全てを王妃ジーナに暴かれている気になってしまう。ゾクゾクと薄暗い喜びが湧き上がり、体中を駆け巡った。 (暴かれたいのか、俺は)  高く澄んだ青空のような、さわやかで美しく手の届かない相手に、醜悪な己を知られたいのか。 (まさか、な)  頬をゆがめたラウールは、ではなぜミクリアの言う通りにしているのかと自問した。たしかに彼に抱かれてから、血に飢えることはなくなった。原始の欲の情動という意味では、獰猛な闘争本能と劣情は同列と考えられる。だから解消するために肉欲を与えたと言われれば、なるほどそうかと納得もできた。 (女を漁る気にはなれないが……だからと言って、なぜ俺はミクリアにおとなしく抱かれている?)  騎士として城に務めている間も、旅の最中も、同僚などに誘われる事はあったが断り続けていた。人並みに性欲はあるが、女買いも騎士同士での肉欲の交流も気が向かなかった。  薬を飲まされて、さんざん暴かれたからか。執拗に、時間をかけて体を開発されたから、ミクリアの望むままに体を開いて受け入れているのだろうか。  日の差す明るいうちから、求められるままに脚を開いて自慰をした。胸乳を自ら捏ねて、立ち上がる劣情の熱を彼にさらした。乞われるままに痴態を見せるのは、はたして――。  カタリと外で音がして、ラウールは思考を中断した。  窓から様子を見たが、特に変わったものは見当たらない。どうしたのかと外に出て、壁に立てかけてあった鍬が倒れているのに気がついた。畑に小さな獣の足跡がついており、育った若芽がかじられている。 (ウサギか……? 食べるものは、森の中に豊富にあるだろうに)  人の畑に入らなければならない理由は、どこにもないはずだ。だが、人の手で育てられたものは味が違うと知っているのかもしれない。 (まあ、いい)  ちょうどいい食料だと、ラウールはボウガンと剣を手にして、畑の土に残るウサギの足跡をたどって森に入った。  ほどなくウサギに追いついて、様子をうかがう。こちらの気配に気がついたのか、ウサギは後ろ足で立ち上がり、ピンと耳を立てて鼻をうごめかせた。静かな動きでボウガンを構え、狙いを定めて矢を放つ。キュッと小さな悲鳴を上げて、ウサギは倒れた。  仕留めたウサギを拾って矢を抜けば、血の匂いがこぼれ出た。持ち上げて嗅いでみたが、なんとも感じない。心は淡々としたままで、凶暴性が湧き起こる気配はみじんも無かった。 (いつも、そうなるわけではないが)  性欲として処理できているのであれば、彼に抱かれ続ける意味もある。成果を告げれば、ミクリアはどんな顔をするだろう。 (自分の手柄だと喜ぶか。町に戻るよう勧めてくるかもしれないな)  近頃は言わなくなったが、体を繋げるまでは必ず、騎士の地位に戻らないかと誘われていた。 (言わなくなったのは、俺が殺さなくてもいい魔物の命を奪う姿を見たからだろう)  あれを人々に見られれば、竜を退治した英雄は恐怖の対象になってしまう。だからミクリアは言わなくなった。だが、その情動を別の形で解消できれば、騎士を止めた理由は無くなる。 (戻りたいのか?)  答えは出なかった。ミクリアの求めに応じているのは、町に戻る手立てが欲しいからなのか。かつて人に囲まれて過ごした日々を、懐かしく焦がれていると感じたことはない。しかし心の奥底では寂しさを覚えていて、無意識に以前の暮らしを求めていたから、ミクリアの手を拒まないのではないか。 (ほかに、理由はない)  力ではラウールが勝っている。彼は自分が王子であると明かしていない。地位を振りかざして、好きにさせろとは言ってない。それなのにラウールは従う。裸身になり、脚を開けと言われれば、素直にすべてを彼にさらした。  ウサギの処理をしながらも、ラウールは考え続ける。ふたりの関係に理由が欲しかった。 (いつまで、ミクリアは通ってくる?)  物珍しくて、竜を退治した騎士を組み敷く優越感に浸って、憧れを恋と勘違いして……その期間は、いつまでなのか。冷静になり、ラウールに飽きて、魅惑的な女性と出会って、通わなくなる日は必ず来る。  彼が本物の恋をする前に、次期王位継承者にふさわしい婚約者が選ばれて結ばれるかもしれない。もう成人をしているのだから、王がいつ譲位をしてもおかしくはない。王となったミクリアは、城を抜け出せなくなる。 (俺を呼びよせるかもしれないが、断れば終わりだ)  無理に城に呼ぶ理由もない。むしろ王となり、妻を迎えればラウールは邪魔になる。かつて情欲を交わした相手を城に囲うわずらわしさは、愛人を持つ貴族の話から想像できる。何より外聞が悪いのではないか。それとも、ラウールを手にしたと箔がつくか? 竜を退治した生きながらに伝説として語られる男を、意のままにした英邁な王として尊崇されると考えなくもない。  意識を別に置いていても、手は勝手に慣れた作業を続ける。すっかり処理を終えたウサギの肉を縄で縛って二階の軒先に吊るした。三日ほど熟成してから燻製にする。  二階の窓から城の方角をながめて、ラウールは思考を続けた。  可能性をいくら考えても、ミクリアの心中はわからない。彼に聞けば早いことだが、聞く気にはなれなかった。  子どもが新しいオモチャに夢中になるように、ミクリアはラウールを弄ぶ遊びに熱中している。愛の言葉を口にするのも、その延長だろう。本心だと思い込んでいるだけで、冷静になれば消したい過去になるに違いない。 (俺も、同じかもしれないな)  物珍しい体験を、観察するためにミクリアの望みに応えているだけだ。彼に抱かれたいと願っているわけではない。奪う必要のない命を消す情動を性欲に変えられるならと、受けれているだけにすぎない。抱かれる喜びを得たいわけではない。――その、はずだ。  空の向こうが、ほんのりと茜色に染まっている。じきに森の上にも広がって、藍色の帳に代わって夜になる。  一階に戻り、ラウールは夕食の支度をはじめた。

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