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【鈴蘭の間】1 (男前×生意気/ソフトSM)
ポン、ピン────。
語尾上がりの音と共に鈴蘭が描かれた扉が音もなく開く。
スーツをぴしゃりと着こなした男、零次 が降り立ったのは地上3階。
【鈴蘭の間】
昇降機を降りてすぐ、室内にも関わらず玉砂利を踏み、零次は諸目を細めて下方を見遣る。
それから改めて視線を上げると、踏み石に外縁。その奥には鈴蘭の襖紙が貼られた4枚の襖が見える。
六花城の面白みは、各階毎に演出が凝っている事。
零次は今、庭から縁側へ、そして縁側から座敷へ上がろうとしているのだ。そういう風に凝った演出が物語っている。
「──お待ちしておりました。今宵、ご用意致しましたのは、此方の鈴蘭の間。主は小粋 と申します」
「どうも、こんばんは」
「どうぞ、靴を脱いでお上がりください。御用の際は、お気軽にお呼び付けくださいませ」
足音は勿論、気配すら消して、すっと横に姿を現した黒衣が片膝を立てて屈み込み、頭を下げる。
その姿を横目に捉えた後、零次は歩を進め踏み石の上で革靴を脱いで縁に上がった。
靴を揃えようと振り返ると、既に黒衣が音もなくきちり、と揃えた後だった。声質から推するに年齢は然程変わらない。
三十前後程にも関わらず、その所作は黒衣としてよく洗練されている。
黒衣の仕事ぶりに感服しながら縁側を横切り、閉ざされた襖の前で、零次は立ち止まり目を伏せる。
根元を立ち上げてふわりと仕上げられた前髪、髪の流れをより美しく見せる緩いカールにさりげないツーブロック。
凛々しく整えられた眉に、彫りの深い目元。高く筋の通った鼻に口角の上がった口元をより色っぽく魅せる程好く厚みのある口唇。
オーソドックスなネイビーの無地のスーツに、同色のベスト、淡いブルーのYシャツ。差し色が効いた臙脂のネクタイ。
数多のΩを虜にしてきた整った顔立ちで卒なくスーツを着こなす姿に、欠点は何一つ見当たらない。
しかし零次は、目を開くと改めて己の形を確認するように視線を流した。
一寸の緩みもなく締められたネクタイを今一度締め直し、引き手に手を掛け襖をぞろりと引く。
その瞬間、むわり、と座敷の中から甘い香りの紫煙が溢れ出た。
「ようこそ、おいでなんし────、なんてね」
思わず袖で鼻口を覆う零次に、座敷の奥に掛かった御簾の更に奥から声が掛かる。
最低限の照明があるだけの薄暗い座敷は、霧のように紫煙が立ち込め、霞んでいる。
零次は落ち着いた様子で、襖を全開まで引き開け、二重に重なった縁の部分へ凭れ掛かり肩を預けた。
「鈴蘭と言うからには、可愛らしい子を期待してたのに」
「だったら、お帰りなんし──?」
挨拶も無しに零次がぼやくと、廓詞を真似た挑発が返ってくる。
開け放たれた出入口から、徐々に排煙されていくが、まだ座敷の中は不鮮明な儘だ。
「俺は今夜、お前を狩る。それまでは絶対に帰らない」
「へえ……、入るのも躊躇ってるのに、僕を狩る──?お兄さん、冗談が過ぎるよ」
呆れたと云わんばかりの小粋だが、零次は決して立ち入るのを躊躇っているのではない。
既に完璧に仕上がった小粋の防護である紫煙が薄まるのを待っている。
───カンッ、──……ちりん。
徐に響いた金属音は、概ね小粋が煙管を盆に返した音だ。
だがその後に響いたのは何故かしら鈴の音。
「──鈴、?」
「ねえ、そこのでくのぼう。さっさとそこを閉めて、出てってくんない?それとも、小粋様どうか抱かせて頂けませんか、お願いしますって跪く?」
敢えて零次の耳にも届くように、故意に鼻を鳴らしてせせら笑う小粋は、その名の通り小生意気な性分だと見受けられた。
零次の訝し気な問いに答える代わりに、言葉を被せるように挑発的に文句をつける。
それでも零次は、座敷に立ち入る素振りは見せず、小粋の言うでくのぼう宜しく入口から一歩たりとも動かない。
「ねえ、聞こえてないの。嗚呼、それとももう帰っちゃった?」
「いやという程聞こえてる。──お前は暫く黙れないのか。それとも、喋ってないと落ち着かない何かがあるか、」
ちりん。
再び聞こえる鈴の音は、能々耳を澄ますと一つではない。
幾つかの鈴の音が重なって響いている。
「ああ、まだいたの。それでどうするの?出ていくの、出ていかないの。僕に頭を下げて抱かせて欲しいとお願いするの」
「────、」
ちりん。──ちりん。
そしてその鈴の音は、座敷の奥──小粋の声のする方から聞こえてくるのだ。
初めは煙管にでもぶら提げているのか程度に考えていた零次だが、それにしては不定期かつ不規則だと思い直して黙り込む。
「はっきりしてよ。苛々するなぁ、もう」
──ちりん。
はあ、と小粋の大きな溜息の後で、鳴り響いた鈴の音が合図とばかりに零次は体勢を立て直し、座敷内へと足を踏み入れる。
既に紫煙は薄れ、御簾の先にある影もぼんやりと見える。
ずかずかと無遠慮に座敷を進み、目隠しの為に下げられた御簾を乱暴に捲り上げると、小粋が座る閨に潜り込む。
二畳分はあるシルクの真っ白な布団の向こう、脇に煙草盆を抱えて白の長襦袢姿で据わる小粋。
煙管片手にじとり、と睨み上げるその顔は、饒舌で小生意気な口振りからは想像出来ない程にあどけない。
もみあげを鋭角に剃り上げ、丸みを帯びた髪型は所謂テクノカット。やや長い前髪が右目を隠すように覆い被さっているが、その目は愛らしく真ん丸だ。更に二重が縁取って、より幼さを助長している。
小さな鼻に、薄い唇、細い顎からなる顔立ちは、宛らアニメチックな球体関節人形だ。
零次は閨を今一度見渡した後、布団を踏み付け小粋の汗に濡れた前髪を乱暴に掴んで引っ張り上げた。
「その抑制剤入りの煙草を消して、服を脱げ」
「──っ、僕に命令するな。此処は僕の座敷だ、指図するより、土下座でもして媚びを売れ」
「αはΩに媚びはしない。──もう一度言う。煙草を消して、今すぐ服を脱げ。それとも脱げない理由が────あぁ、あるのか、」
面を突き合わせて行われる刺々しい口調でのやり取りの最中、零次は小粋の左腕が袖を通っていない事を知る。
そして肌蹴た胸元から透けて見えた、華奢な体を縛り上げる赤い縄。
更に縄が縁取る胸の中央──熟れた突起を貫通するリングにぶら下がる鈴。
鈴の音の出所は、これだ。
「媚びを売って求めてみろと言う割に、求めてるのはお前の方か」
「ッ、違う、!」
「違わない」
視線を泳がせる小粋がぎゅっ、と唇を噛むのを零次は決して見逃さない。
掴んでいた前髪を開放すると同時に額を掴み、グッと後方に押し遣ると、いとも容易く転がる小粋が未だ恨めし気に睨みを利かせるが、その瞳は欲に濡れている。
小粋の手を離れ畳に転がる煙管を横目に、ふ、と口元を緩め笑みを浮かべた零次は既に肌蹴た長襦袢の胸元を大きく開いた。
菱縄縛りで縛り上げられ、二つの突起にニップルピアス。
股を暴けば屹立した一物と、裏筋に3連のフレナムと呼ばれる陰茎ピアス。
それぞれに1つずつ、計5つの鈴がぶら下がっていた。
零次にSMの趣味はない。
しかし、マゾフィストを間近に捉えて、かつてない程の興奮を感じて昂っているのも事実。
下卑た真似と解りながらも、舌を舐り嘲笑を込めて口端を上げた。
「小粋、俺が欲しいと言ってみろ」
「っ──、言わない」
「抱いて欲しいと言え」
「言わな、い」
「それなら、朝までこのままか」
「ッ、抱きたきゃ好きに抱けばいいだろ、このでくのぼうがッ、!」
唯一自由の利く白く細い足が勢い良く蹴り上げられるが、足首を掴み取った零次が顎を上げて態と小粋を見下し諸目を細める。
「途中で音を上げるなよ」
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