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【鈴蘭の間】8

全部黒で、と指示された通りに、小粋は黒のYシャツにベストを着込み、ジャケットに袖を通す。 驚くべき事に、袖も襟も裾も、全て小粋の身の丈にぴったりだった。 靴下、ベルトに、ネクタイに至る迄黒一色。 葬儀の参列の時でさえ、こうも真っ黒にはならない。 小粋は訝しく思いながらも脱衣所を後にする。 縒れた大判の布団の先、昨夜のように襖の縁に凭れ掛かる零次の姿を見つけると、表情を引き締める。 ゆっくりと瞬きを一度。 眼に反抗的な光を宿して歩を進め、零次の前を横切る。 「──待て、」 「なんだよ」 小粋が眼前を通り過ぎようとした時、零次はその細腕を掴み引き留める。 眉根を寄せて下から睨み上げる小粋と視線を合わせる事なく、胸ポケットに黒のハンカチーフを差し込んだ。 一連の動きを目で追った後で、零次の胸ポケットに視線を移すと、対照的に白いハンカチーフが差し込まれている。 どういう意図があるんだ、と問う前に背を向けた零次が、踏み石の上に並ぶ革靴に足を突っ込む。 残る一足は説明する迄もなく小粋ぴったりの黒色の革靴だ。 小粋が履き慣れない硬い革靴を履いて立ち上がると、待っていましたとばかりの目の前の昇降機が口を開く。 先に乗り込んだ零次と反対側に乗り込んだ小粋は、息苦しさに顔を顰めてネクタイを緩めた。 二人を飲み込んだ昇降機が、大きく開けた口を閉じる。 ───ヴヴ、ヴ。 突如、鳴り響いたのは振動音。 ネクタイに手を掛けた儘で小粋の体が強張る。 何処だ。 視線を下方に落とす、──違う、僕の中じゃない。 左は壁、右は──零次。 ──視線を感じる。 何処だ、何処から見てる。 上方に視線を流す、違う。 下方、違う。 ──ピン、ポン。 語尾下がりの音と共に扉が開く──。 早鐘を打つ様に小粋の心臓がバクバクと大きく跳ねる。 正面、か───、? 右端から伸びた影が小粋の後頭部を掴んで引き寄せる。 「っ、」 「俺の端末が鳴っただけだ」 よろけた小粋を脇で受け止め、肩に手を回して支えながら零次は諸目を細める。 強張った無抵抗な体、縺れる足。 見るからに何かに怯える様子を見せる小粋を引き摺り、零次は到着したラウンジの中を一周ぐるりと見渡す。 人影はない。 一番近くに設置された二人掛けの総革張りチェスターフィールドソファを目指し、もうあと一歩という所で小粋の体を投げ遣った。 続いて零次自身もソファに身体を沈め、茫然とする小粋の腕を掴んで引き寄せると、体が傾倒する。 そうして上手い具合に零次の膝に乗った小粋の頭を一撫でして、怯えた眼差しから視界を遮るように掌で覆う。 「寝てもいい。目ぇ閉じてろ」 閉じた瞼が震えているのを掌の下で感じながら零次はジャケットのポケットに手を突っ込む。 先程受け取った何らかの通知を確認する為だ。 長方形の端末を取り出すと、つられて一緒に飛び出たチップ状の物体が床に落ちる。 ───SDカード。 自分で入れた覚えのない其を足を伸ばして軽く踏み、手繰り寄せて拾い上げる。 128GBと印字されたフラッシュメモリの中身には、なんとなく心当たりがある。 薄いチップを胸の内ポケットに仕舞い直し、端末の電源ボタンを押すとショートメールが1通届いていた。 午前7時42分、鈴蘭の間───閉扉。

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