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【鳥兜の間】1(女装×体育会系/イチャ甘※2話まで流血表現あり)
紅子は鳥兜の絵が描かれたカードを手に、昇降機に乗った。
昇降機には何のボタンもなく、また、今自分が何階に居るのか示す事すらない。
ただ、1と表示された後で上向きの三角形が映し出され、到着音と共に7という数字に切り替わっただけ。
つまりこの昇降機は限定されたフロアにしか止まらない。
昇降機を降りた紅子が見たのは、漆黒に塗り潰され、身が震える程に繊細な金の装飾を以って王を匿う謁見の間。
【鳥兜の間】
其処は西洋を思わせるようでいて飽くまで和にこだわり、和に統一されていた。
黒の大理石が昇降機の床と1mmの段差をつける事なくフラットに広がる。
それは一の間、ニの間まで真っ直ぐに広がり続く。
ニの間の左、直角に曲がった先からは畳が広がっているようだ。
大理石と同じく黒の畳が微かに見えている。
壁と天井には目を見張る程に煌びやかな金の障壁画。
壁面に描かれているのは鶴、松、武将の立ち姿、山並み、首を垂れる女人。
そして天井には毒六花と呼ばれる花々が乱れ咲いている。
───コツ、コツ。
ヒールを鳴らして、紅子は広間の中央を緩慢な歩調で闊歩する。
赤いシフォンのドレスをひらめかせながら、10cmはある高いヒールをまるで自分の足の一部の様に美しく扱い、着実にこの広間の奥で紅子を待つ王の元へと歩み近付く。
足を一歩踏み出す度に、時を刻む時計よろしく響きのいい足音が広間全体に響く。
全く困った事に、全てが紅子好みな内装だった。
雄々しくあり、繊細でもあり、逞しくもあり、儚くもある。
壁に浮かぶ天女を追い越し、勇ましく嘶く馬を通り過ぎる。
手を招く松、歓迎するように咲き綻ぶ花のアーチ。
高揚感が胸を満たし、感慨深くたっぷりと溜めて、溜めて、溜めた後で息を吐き出す。
気付けば自然と頬が緩み、唇が震える。
三の間に続く手前で、紅子は歩き続けながら器用にヒールを脱いだ。畳の前でもたつき、気を削がれるのが嫌だったのだ。
大理石を直に踏む足がひんやりとするのが、すっかり興奮しきって体温が上がった肌に心地好い。
右に黒のクラッチバックを握り、左にヒールを下げて、自然と足が早くなる。
角を通り過ぎて、曲がった先を中央から眺められる位置まで進んでから、紅子は思いっ切り三の間に振り返った。
「なん、って事なの───、」
紅子の目に映ったのは、三の間の中央に鎮座するこの広間を統べる王の姿。
背後には一段上がった上段の間があり、そこに寝具が敷き広げられている。最奥の障壁画には勇ましい二頭の虎の姿。
そんな豪華絢爛な装飾に、決して見劣りしない王。
スパイラルのパーマが施された肩までのロングヘア。
額の中央から分けられた前髪はサイドの髪と馴染み、左側は耳に掛けられている。
遠目に見ても濃い顔立ち。
黒々とした眉は細くつり上がり、伏せられた目の先で密度の高い睫毛が半弧を描いている。
鼻は高く逞しく、厚い唇は慈愛に満ちている。
しっかりとした骨格を裏付けるように広い顎、張ったエラ。
紋付き袴を纏い、座布団の上で胡坐を掻き、右肘を立て、頬を預ける。
寛いだ姿を見せる男は、感嘆する紅子の声にゆっくりと伏せていた目を開き、垂れた目を細めて柔和にほほ笑んだ。
「いらっしゃい」
その瞬間、紅子は手に持っていた全てを取り落し腰を抜かしてその場にへなへなとへたり込む。
紅子を胸が痛む程の衝撃が襲い、感動に完全に射抜かれた。
あァ、これを一目惚れって呼ぶのかしら───。
両手で口を覆うと、眉頭が自然と持ち上がり額に皺が寄る。
じわじわと目に涙が浮かび、鼻がツンとした。
遅れて鼻を擽るのはエキゾチックなイランイランの香り。濃厚で重厚な甘さを持つ、香り高い花。
その花は、古くは媚薬等にも用いられたと聞く。
「俺は、毒六花最上位の鳥兜。そしてこの鳥兜の間を取り仕切る。名前は武蔵 。──お名前は?」
「───、紅子」
「こっちにおいで、──紅子ちゃん」
「っ、いいえ、」
行けないわ、と言おうとするのを零れる涙が邪魔をする。
到底立ち上がれそうになく、彼に歩み寄るのが憚られた。とても不思議な気分だった。
上質な化粧品で塗り上げ、土台を活かしながら更に美しく作り込まれた紅子の顔は女性そのものだ。しかし、声はどこまでも男性的なテノールを含む。
高く声を作っても低音が纏わりつく。それなのに、目の前の美麗な男は確かに紅子を「紅子ちゃん」と呼んだ。
至極当然に、ナチュラルに、いたいけな娘を誘い導くように優しく「紅子ちゃん」と呼んだのだ。紅子はそれが嬉しくて嬉しくて堪らない。
目頭に指を当てて下瞼の縁をなぞり、目尻を拭き上げた。
何故か武蔵と名乗る男を見た瞬間から、紅子の胸は息苦しい程に高鳴り、最高傑作の映画の、感動的なラストシーンに心揺さぶられるのと似た心地だった。
「どう、してかしら、っ──、初めて、逢った筈じゃない、アタシ達」
「ん」
「すご、く懐かしい、の──それに、凄く、嬉しいの。何も知らないのに、おかしいわよね、」
「だからってそんなに泣くなよ、困るだろ」
武蔵はどこまでも甘く、優しく声を掛け、へたり込む紅子を笑いながら、優しく見守る。
そんな武蔵が片膝を立てて、立ち上がる。
筈だった。
紅子に歩み寄ろうとした武蔵の体が、前傾した後で呆気なく突っ伏した。
紅子の目に、それはやけにスローモーションに映った。
一瞬、何が起こったのかさっぱり分からず眉を顰める。
だが、だくだくと床に流れ出した鮮血を見た瞬間、弾かれたように立ち上がると、駆け寄って傍らに滑り込む。
出血箇所は後ろ首。
礼装着の襟首を真っ赤に汚し、髪まで濡らして束を作っていた。
一部は既に乾燥し、黒く色が変わっている。
後ろ髪を捲り上げ、傷口を探ると、紡錘形に口を開いている。
深く切り込まれた傷の下にはうっすらと皮下組織が見えていた。
紅子は咄嗟に自分の肩口を覆う布に歯を当て、何の躊躇もなく力いっぱい犬歯を立てて切り裂く。
ついさっきまで紅子を美しく際立たせるドレスの袖だった布を、慣れた手つきで乱雑に折り畳み傷口へと強く押し当てた。
「……ッ、どういう事!アンタ、コレ、自分でヤったわね!?」
「───……兜屋にゃ、抑制剤っつう、もんが、ねえんだよ、紅子ちゃん」
武蔵の背に跨り、傷を強く圧迫して止血を試みながら紅子は棘を含んだ言葉を吐き投げた。
その下で、武蔵が呻く。
「先に送った荷物の中にアタシの医療バッグが入ってるわ。どこにあるか教えて頂戴」
「─────……、」
「早く、ッ!」
「…この、座敷にゃ、忍びが潜んでる。そいつに、頼みゃ、……持って、くる、よ」
その忍びッつーのは何処に潜んでやがるってんだッ!、と紅子が声を荒げる寸前。
背後から黒畳の上を滑り、何某かが近付いてくる音が紅子の耳に届く。
音の方を見遣ると、キャンバス地の見慣れた医療バッグ。
既に足下にまで辿り着いている。
滑って来た方を振り返ると、一瞬だけ人影が写った。
すっかり涙が引っ込んだ紅子は、グッと奥歯を噛み込む。
バクバクと自らの心臓が鼓動を打つのが騒がしく、煩わしく感じられた。
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