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【鳥兜の間】2

「ちょっと押さえてて!……それから、切った刃物に錆や汚れは」 「なかったよ」 赤の生地があっという間に濡れていく様を見た紅子は、強く武蔵に言い付けた後で、問い掛ける。 懐から脇差を取り出して引き抜いた武蔵は、その刀身を見せつけるように翳した後で、鞘に仕舞い直して傍らに置いた。 その後で、ゆっくりと首に手を回す。 武蔵の手が紅子の手に触れた。 指の一本さえごつごつとして節張った逞しい武蔵の手。 しかし、その手指はすっかり冷え切っていた。 紅子はまた、強く奥歯を噛み込み、傷を押さえていた手を引き抜いて、医療バッグの差込錠を開く。 バッグの中身は、グローブ、滅菌ガーゼ、注射キット、外傷用包帯、ハサミやメス等の処置器具、携帯用の薬剤が数種。他にも紅子がコーディネートした救急用品が詰め込まれていた。 瞬時に、ガーゼを引っ掴み手際良く開封し、中身を取り出さない儘、口に咥えた紅子は、バッグをギリギリまで引き寄せた状態で武蔵の方へと向き直る。 武蔵の手を引き剥がし、左手で濡れた布を押さえながら右手で滅菌されたガーゼを取り出しては入れ替えていく。 「……ッ、ゔ」 「足を伸ばして、楽にしてていいわ。前を寛げて、袖を抜いて」 痛みに呻く武蔵だが、紅子は容赦しなかった。 傷の深部までガーゼを押し込み圧迫を続ける。 バッグの中には裁ちバサミも入っていたが、傷を押さえながら地の厚い和服を切るのは骨が折れる。 幸い、出血は多いものの生命に関わる程の深刻な傷には至っていない上に、武蔵はまだ動けている。 紅子の指示通り、武蔵は足を伸ばす。 その後でずっ、ずっ、と襟を掴んで帯から長襦袢ごと着物を引き抜き、十分に寛げた後で袖を抜いた。 紅子が緩んだ後襟を掴んで引き下げる。 広く逞しい背中は鍛え上げられており、筋肉の形を透かせて隆起している。 それだけなら紅子はただ、格好良い背中だと場違いにも惚れ惚れとしただろう。 しかし、武蔵の背中は痛々しく見るも無残な色をしていた。 本来の肌の色を無数の内出血と、打撲の痕で隠していたのだ、 「驚いた、ろ」 「──…、今は首の止血と処置が第一よ」 鼻で大きく息を吸った紅子が、そのまま鼻から息を抜く。平常心を保つ為に。 10分程度の止血処置の間、二人は何も言わなかった。 止血を確認した後、紅子は無麻酔で長さ8cm、幅2cm、深さ1cm弱に渡る傷を縫い上げた。 武蔵は時折、小さく呻くだけで叫びも暴れもせず、じっと忍耐強く耐えていた。 「アンタは今すぐ病院へ行きなさい。アタシは帰るわ」 ガーゼの空き袋に使い捨ての針を入れ使用済みと書かれた赤いビニールに纏めて、糸と一緒にバッグに仕舞い終えた紅子が声を掛けるが、武蔵は返事を返さない。 バッグを手に立ち上がると、武蔵はゆっくりと起き上がって胡坐を掻き直す。 傷から察するに、背中の傷は棒状のものでこっ酷く打ちのめされたものだ。 さらに、血を拭いて露になった首についた傷は、一つではなかった。 茶色く色素沈着したもの、蚯蚓のように瘢痕となったもの。 首に縫合の痕は一切ない。内出血が激しく、ところどころ腫脹した背中にもアイシングなどの適切な処置の形跡は見当たらなかった。 兎角、武蔵の首から背中に掛けて、見るも痛ましい傷が多かった。 それはそれは激しい暴行と、無茶苦茶な抑制の痕。 去り際に背中を一瞥した紅子だったが、直ぐに視線を逸らして武蔵の横を過ぎる。 「───行かせたく、ねえなぁ、」 武蔵の冷たい手が、同じく冷え切って怒りに震える紅子の手首を掴む。 紅子が立ち止まったのをいいことに、武蔵は固く握り込まれ拳から一つ一つ優しく丁寧に指を解き、最後にはその手を握り締めた。 「どォして、!アンタみたいな筋肉どか盛りでαヅラのイケメン野郎が、ッ」 「そんなに綺麗な紅子ちゃんがどうして男なの?って?」 手を引き寄せようと引っ張る武蔵に、紅子は抗い踏ん張った。 その結果、紅子を支えに武蔵は立ち上がる。 「っ、オトコだからに決まってンだろォがッ、!オンナは生まれて来た時から、ブスでも花道ランウェイが約束されてンの。いい身分よ、アタシなんて」 武蔵に背を向けた儘、紅子が吠える。 アタシなんて──。 武蔵はその続きを遮るように、自分よりほんの少しだけ小さな体を背後から抱き竦めた。 最後までは言わせない。何故なら続く言葉が何処までも暗闇に満ちた底無しの自虐だと分かったから。 それを冗句に変えて笑いを誘うように明るく言うんだろう、と察したから。 「兜屋は手荒だから。耐えられるように鍛えて仕上げた。──意地悪言ってゴメンね」 がたいのいい体があっさりと紅子を包み込み、柔らかく自由を奪う。 怒りと悲しみと、何処からともなく湧き出してくる歯痒さが、紅子の中から少しだけ薄れた気がした。 徐々に緊張が解けていく紅子の手から、遂にバッグの取っ手がすり抜ける。 ガシャン、と嫌な音を立てて落下したバッグの中身が一つも欠ける事なく無事ならいいけど。 そう思いながらも武蔵は腕から力を抜かない。 「こっち向いて」 「嫌よ!どうして向かなくちゃいけないのよ、アタシは帰るっつってんだろ、そしてアンタは病院に行くの、!」 「───キスしたいから」 柔らかな口調で告げられたのは、意表を突く要求。 咄嗟に首を回して振り返った紅子の唇を、武蔵が静かに奪い、口づける。 目を見開く紅子とは裏腹に、武蔵は綺麗に目を伏せていた。 ちゅ、そんな拙い音が良く似合うキスだった。  

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