13 / 14
【鳥兜の間】3
上段の間の左には、襖を隔てて脱衣所と浴場が。右側の襖の先は廻縁へと繋がっていた。
紅子は座って高欄に凭れ掛かっていた。
雲雀野の街並みを一望しながら、夜風に当たる。
武蔵に風呂に入るように促したのはついさっき。血を吸ってごわついた髪、背にまで垂れた血を洗い流して来なさい、と。
防水フィルムで傷口を覆うのに、雲雀野では首を覆うのはご法度だと嫌がるのを、罰ならアタシが受けてやッからつべこべ言わずに従えなんて啖呵を切った。
「調子、狂うわねェ……───」
紅子が目を伏せると、頬を撫でる夜風が更に心地好く感じられた。
それと同時に武蔵の顔が鮮明に瞼の裏に浮かぶ。すっかり瞼に焼き付いている様で歯痒かった。
この隙に逃げ帰ってしまっても良かったのに、女々しいものだわ。
自嘲を浮かべながらも、既に早々に帰るつもりは失せていた。
職業柄、怪我人を咄嗟に見破れなかった事が悔やまれた。
座敷内に馥郁たるイランイランの香りが満ちていたのを、まず先に疑えば良かった。
余裕溢れる武蔵の言動一つ一つに対しても、猜疑すれば良かったのだ。
イランイランの香りは武蔵の血の匂い、どっしりと構えて鎮座していたのは無駄な出血を抑える為。
己の未熟さに溜息が零れる。
そんな紅子の耳に雲雀野の街を賑わわせる披露目屋の歌が届いた。
「わらべ歌かしら、」
微かに捉えた歌の出所を探すと、川沿いを歩く派手な集団。
大潮という大祭に押し寄せた人波を掻き分けて、笛や太鼓、鐘を鳴らして道を練り歩く。
姿を捉えると、歌は形を明確にした。
兜屋 ながれは 武家屋敷
武家に生まれた 無能な芥
扱いて鍛えど鼻垂らし
寄せて集めて男気毒花
桃屋の女は 色びたり
猫にまたたび 桃屋に媚薬
生粋遊女の血が流る
寄せて集めて淫蕩 毒花
彼岸屋 覗くな 近付くな
異能に 異形に 異端で 奇形
かたわに つんぼに 盲 に ちんば
寄せて集めて見世物毒花
紫陽花亭の 若い衆 立派
美丈夫揃いで 男も惚れる
今朝も 女郎の 屍 浮かぶ
寄せて集めて略奪毒花
鈴屋が歩けば 鈴が鳴る
うぶな体に 針さして
目合ひ 覗いて実を熟す
寄せて集めて生娘毒花
仙屋の男は至って平凡
節介内儀 によく似て節介
節介女房欲しけりゃ仙屋
寄せて集めて女房毒花
寄せて集めて雲雀野六花
寄せて集めて毒六花
今宵は大潮、お上に献上
寄せて集めた雲雀野の
毒毒毒毒毒毒六花
「風邪引くよ」
「……あの歌は?」
「昔の歌さ」
「習わしは今も、……続いてるんじゃない?」
「知りたい?」
「───、」
夜風ですっかり冷えた紅子の体に、羽織が掛かる。
礼装着から浴衣に着替えた武蔵が隣を陣取り紅子の肩を抱いた。
紅子も下界を横目に見下ろしながら厚い胸に頬を寄せる。
「夜景デートにゃ、そぐわない話だよ」
「触りだけでいいわ」
付き合いの長い夫婦同士の様に二人は寄り添う。
そんな中、武蔵は口を開いた。
雲雀野毒六花は、天下人への献上品。
古来雲雀野を納めてきた一族「夜鷹家」が、雲雀野で宿命の女を娶ったのが事の発端。
鷹が一晩で花を狩るってのは、それが由来だろうね。
その噂を聞き付けた天下人が献上を命じた。
献上に名乗り出たのが兜屋、桃屋、彼岸屋、紫陽花亭、鈴屋、仙屋。
天下人の宿命が見つかったかどうかは定かではないが、側室の座は得たんだとか。
兜屋の元は歌にもある通り、武家の流れ。元来αばかりだった屋敷にΩが生まれた。
鍛錬と称して暴行を加えたが、血が変わる訳じゃない。だが、雄々しいΩを好むαもいると分かるや否やそういうなりわいに転じ、兜屋とした。
桃屋は最も古い妓楼で、生まれた子は物心つくより先に媚薬の香を嗅がされ、幼い頃から妓楼に仕える。
いざ使い物になる年頃になる頃にはすっかり色浸り。手練手管で男を魅了し、あれよあれよと言う間に身請けまで扱ぎ付ける。名のある女郎の大半が桃屋生まれだ。
彼岸屋で奇形が生まれたのは兜屋が出来た頃。気味悪がって誰も彼岸屋にはよりつきゃしない。そうすると彼岸屋は内内で子をもうけ始めた。
結果として血が濃くなった彼岸屋には奇形児が次々と。逆手に取って見世物小屋と銘打ったら物好きにウケたとか。
紫陽花亭で有名なのは若い衆だった。女郎や男娼もいるにはいたが、先の3つと比べて見劣り激しい。それを若い衆が甲斐甲斐しく励まし世話を焼く。
その内、女郎や男娼が若い衆に恋心を抱くようになるのも無理はなかった。投身するのも多くなったが、これまた物好きに略奪なんてものが流行ってね──。
鈴屋の売りは生娘献上。但しただの生娘じゃあない。態と余所の座敷を覗かせて、嫌という程見せ付ける。声を出したり自慰に耽って客にバレると、仕置きと称して針を刺す。
開いた穴に棒を挿し、鈴を下げる悪趣味っぷり。なかなか覗きがバレない奴にゃ、張り形で犯したりしてバラすのさ。バレた数だけ鈴が増え、鈴の数だけバレやすくなる。
年頃に至る頃には、男が欲しくて欲しくて堪らない、卑しい体に鈴をつけた生娘の出来上がりって訳さ。
仙屋は6つの中で一番若い。既に先の5つに勝る芸は数少ない。初代の内儀がやけに節介焼きで出来た女房だったもんで、料理に洗濯、掃除にそろばんを女郎に教えたんだとか。
ありとあらゆる家事のいろはを叩き込まれた女郎は身請け先でも役に立つ。好んで仙屋に花嫁修行に出す母も、なんて噂があったりね。
「面白おかしく、都合のいい部分だけ、都合のいいように形を変えて、今も続いているって訳さ」
話し終えた武蔵に紅子は何も言わなかった。
その代わり、顔を上げて武蔵の顔を下から覗く。
「ん、?」
柔らかく微笑む武蔵の髪に指を差し込み優しく撫でると、武蔵は安心しきった様子で目を伏せた。
ともだちにシェアしよう!