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6 桔梗祭

 青花大附属高校の文化祭である『桔梗(ききょう)祭』は、毎年10月の第4土曜に行われる。  有名大学の附属校なので、下見の中学生や他校の生徒、卒業生など、外部からのお客さんで大盛況だ……が。  今年は動員見込みが例年の倍らしい。  もちろん理由は、この、僕の胴体に巻きついてゴロゴロしている人物である。 「ねえ、先輩。本当に俺、なんにもしちゃいけないんですかね」 「寮から一歩も出ちゃダメだよ。不安なら実家に帰ってもいいし」 「やですよ! 先輩と一緒じゃないと眠れません!」  葛城佑哉がこの学校に通っているのは一応秘密で、口外しないようお触れが出ているのだけど、誰も守っていない。  なので、誰でも入れる桔梗祭に佑哉のファンが殺到するのは、疑う余地もなかった。  そして佑哉に通達されたのは、桔梗祭への参加禁止。  クラスイベントの当番に出るのも、校舎内をめぐるのもダメ。  とにかく寮から一歩も出るなというお達しだ。  当日戦力になれないならと、本人は連日準備を頑張っているけど、やっぱりなんだかかわいそうではある。 「何か食べたいものがあったら買ってくるよ」 「やきそばとたこやきとぐるぐるポテトとチョコバナナとわたあめとタピオカとクレープとワッフル」 「……要するに、僕にも部屋に居て欲しいってことね?」 「そうです。全部買ってきてください」  僕は佑哉の頭をなでた。  佑哉は基本的に仕事優先だし、自分の立場はちゃんとわきまえていて、周りに迷惑をかけないように気をつけている。  文化祭に出られないのも、当然理解しているはずだ。  子供の頃から遠足に行けないとかもしょっちゅうだったようだし、それに対して特に不満を持ったことはないと、以前言っていた。  そんな佑哉が、駄々っ子みたいにわがままを言うなんて――よっぽど僕と回りたいのだろうなと思う。  もう一度、ふわふわの髪をなでた。 「ごめんね。僕、委員会の役割でキツキツで、自由時間があんまりないんだ。だからそんなにたくさんは買って来られないけど……でも、キャンプファイヤーは一緒にいよう?」  佑哉はぱっと目を見開いて、半身を起こした。 「え? いいんですか? クラスの人とか……えっと、飯田先輩とか」 「佑哉の護衛を申し出ようと思ってる」  目を細めて笑うと、佑哉は面食らった表情で固まったあと、ふにゃっと溶けそうに笑った。 「先輩が守ってくれるんですか?」 「風紀委員長だからね」  夜のキャンプファイヤーは在校生の希望者のみなので、佑哉も出られる。  あらかじめ先生に『葛城くんに女子生徒がついて回ったらトラブルになりそうなので、対応します』とかなんとか言っておけば、一緒に過ごせるような気がした。 「飯田はゴミ拾いで死んでるはずだから大丈夫。それよりも、佑哉はクラスの友達とはいいの?」 「どう考えても面倒になりそうなんで、先輩とふたりがいいです」  それに、と言って、誰もいないのに耳打ちする。 「ちょっとキスとかしてみたいです」 「ダメ」 「ちぇっ」  本当は僕も、チラリとはそんな想像をしたなんて……言えないけれど。  文化祭前1週間は、僕が異常に忙しくて、佑哉と全然コミュニケーションがとれていなかった。  下校時間のギリギリまで、生徒会や各委員会との調整、風紀委員スタッフとのやりとり。  慌ててご飯を食べて、部屋ではノートパソコンを開きっぱなしで、資料作りと次々飛んでくるLINEへの返信。  佑哉は僕の邪魔にならないよう気を遣ってくれていて、2段ベッドの上で、本を読んだりストレッチをしたり、鏡に向かって表情の練習をしていた――気配で分かっているだけで、僕は佑哉の姿を見ることさえしていなかったんだけど。  目まぐるしく仕事をして、疲れてぱたんとベッドに倒れる。  そこでようやく佑哉は、おずおずと僕のベッドに入ってくるのだ。  遠慮がちに、「一緒に寝ていいですか?」なんてお伺いを立てながら。 「来て。くっついて寝たい」 「ほんと? 疲れさせちゃいませんか?」 「一緒の方があったかいし、心が安らぐから」  もぐってきた佑哉の胸のあたりに顔をつける。  深く息を吸い込んでゆっくりと吐くと、佑哉の肌の匂いで、張り詰めていた気持ちがふわっと軽くなった。 「佑哉、好きだよ」 「えっ……? いや、ありがとうございます。うれしい。俺も、先輩のこと大好きですよ」 「いままで、佑哉がいなくてどうやって生きてたのかな」  うとうとと、眠気がやってきて、まぶたが重くなる。  佑哉がクスッと笑ったのが聞こえた。 「目の下、すごいクマ。頑張ってる証拠ですね。でも、体壊さないでくださいよ」 「うん。倒れるなら桔梗祭のあとって決めてる」  絶対寂しい思いをさせてるよな、と、申し訳なくなる。  でも佑哉は逆に、『俺のせいで忙しくしちゃってごめんなさい』と言ったりする。  なんというか……彼はたまに、自分の存在自体を、人に負担を与えるものみたいに言うときがある。  自分がいなければと思ったりするらしい。  絶対、迷惑なわけなんてないのに。  でも、佑哉が常に友達と一定以上の距離をとっているのは、もしかしたら、そういう気持ちの表れなのかも知れないとも思う。 「佑哉。好きだよ。佑哉がそばにいてくれないと頑張れない。僕はいつも佑哉が必要だよ」 「え、なんですか。うれしいけど、なんか改まって」 「最近全然会話できてないし、ちゃんと言葉にしないとダメだなと思ったから」 「……先輩のそういうクソ真面目なところ、大好き」  いつだったか佑哉は、ひとりっこの僕に対して、『甘やかすしわがままも言うから、どっちも叶えてあげる』と言った。  こんな風に、佑哉の胸に顔を擦りつけて甘えながら、佑哉が寂しくないようにと思っているとき、あの予言は当たったのだなと思う。

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