47 / 56
12-2
数日後、昼休み。
なんとなくYouTubeのアプリを起動したところで、後ろから飯田が声をかけてきた。
「あっ、それ葛城くんの初詣だろ? バズってるってネットニュースで見た」
「みたいだね」
コメント欄には、『好きあああぁぁあああ』だの『尊いいいぃぃいいい』だの、日本語の体を成していない叫びがずらりと並んでいる。
まだ公開されて10日くらいなのに、再生回数は35万回。
辰哉さん曰く、ぶっちぎりに人気の佑哉が、men's ASの出版社である講和社に潤いをもたらしているらしい――辰哉さんが記者を務める『週刊ウェンズデイ』も、講和社である。
「葛城くんが着た服とか、品薄になってるんだろ? バックナンバーも手に入んないって」
「よく知ってるね」
「そりゃな、応援してるし」
語彙が崩壊したコメント欄を眺める。
日本語訳すると、貴重な着物姿に加え、カメラマンに対する気遣わしげかつ親しげな言動が、最高に彼氏っぽいらしい。
飯田は僕の手元を覗き込んで笑った。
「あはは、話しかけてる相手は広夢なのにな。彼女とデートしてるみたいに見えるんだ」
「そういうもんでしょ、ファンって」
おしゃれなサムネイル画像の中で、楽しそうに微笑む佑哉。
不意に、恥ずかしい姿の僕を見下ろす冷えた目を思い出した。
ゾクゾクする。あんな佑哉、僕しか知らない。
飯田が席へ戻ったので、僕もスマホをしまう。
すると後ろから、女子数人がヒソヒソと話す声が聞こえた。
「――告っただけで先生にチクるとか、ひどくない? ミナかわいそう」
「そりゃね、校則うんぬん言ったら、告る時点で違反しようとしてるっちゃあそうだけど。でもフラれてるわけだし、先生に言う必要ない」
「嫉妬と見せしめだと思うよ。葛城くんに告ったらこうなるみたいな」
「ひど」
……できれば聞きたくなかった。
誰かが佑哉に告白したらしいというのも微妙な気持ちになるけれど、校則がそんな風に私刑的に使われているという情報も胸糞悪いし、聞いていて気持ちのいい話ではない。
そして何より、自分の風紀委員長としての資質を問うてしまう。
こんなに悪びれもなく校則違反をしながら、しれっと偉そうに人の上に立つ。
そんな倫理観のゆるい人間が、学校の風紀を取りまとめていていいのだろうか……とか。
幸せでフタをしたり、好きなんだから仕方ないと思考を手放したり、時代錯誤の校則が悪いと自分を正当化してみたりして、見ないようにしている。
でも本当は、たまーに、佑哉とセックスしたあとにちょびっと思うのだ。
いいのかな、って。
いや、やめることなんてできないのだけど。
22:00、佑哉が仕事から帰ってきた。
「おかえり」
「ただいまー。って、あれ? まだお風呂入ってないんですか?」
「うん、花園行ってたから」
「めっずらし」
最近は平日にひとりで行くことは少なくなって、……でもきょうは、どうしても憂さ晴らししたかった。
考えがごちゃごちゃになったとき、呼吸を整えてビリヤード台に伏せると、心が静かになる。
そしてカコンとボールの弾ける音で、少しすっきりする。
オーナーの前田さんは、多分僕の様子がおかしいのに気付いていたけど、何も触れないでいてくれた。
「一緒にお風呂入りたくて待ってたんだ」
「えっ、何それ。可愛すぎるんですけど。ちょっと待ってくださいね、スタッフさんに帰宅連絡入れたらすぐ用意するんで」
「ゆっくりでいいよ」
佑哉の笑った顔が好きだ。
振り向いてふわっとした笑顔を向けられると、胸がきゅうっとなる。
慌ててLINEを送る横顔が可愛い。
なぜ、好きな人と一緒にいる自分を自分で罰しなければならないのだろう。
「終わりました。……って、え? ちょ、どうしたの? 体調悪い?」
直立不動のまま、ボロボロと涙を流す僕。
佑哉は焦った顔で駆け寄ってきた。
「どこか痛い?」
口を真一文字に結んだまま、首を横に振る。
佑哉は僕の目線の高さまで屈んで、心配そうな表情を浮かべながら、僕の頭をなでた。
「何かありました?」
「……僕は、佑哉のことを好きでいるのもやめられないけど、青花大附属高校の生徒をやめることもできない。両立できない気持ちとルールがあるのに、どちらかに筋を通すこともできないから、すごくすごく苦しい」
「うん」
「後ろめたくて、悲しい。ただ好きで、触ったりしたいだけなのに、自分がどんどん大嘘つきになっていくから、嫌になる。こんなこと言ったって佑哉を困らせるだけだって分かってるのに、泣いちゃってごめんなさい。嫌になるよ」
ゴシゴシと雑に涙を拭うと、佑哉はふんわりと抱きしめてくれた。
そして何も言わずに、赤ちゃんをあやすみたいに、トン、トン、と背中を叩いてくれた。
僕は背中に手を回し、トレーナーにしがみつく。
「……もしかして、何か噂とか聞きました?」
黙ってこくりとうなずく。
佑哉は僕を抱きしめたまま苦笑いした。
「すみません、嫌な気持ちにさせちゃって」
「いや、全然、佑哉のせいじゃない。告白とかされないように、普段から女子との距離感気をつけてるのも知ってるし、相手を傷つけないように丁寧に断ったんだろうなっていうのも、分かってるから」
佑哉は軽くため息をついた。
「気にしないでください。って口で言ってそうできるなら苦労しないと思いますけど。先輩はクソ真面目ですからね」
佑哉はちょっと体を離し、目を合わせて笑った。
「俺は、そんなことで本気で葛藤して悩んで泣いちゃう、頭の堅い先輩が大好きですよ」
「……『そんなこと』なんて言い切っちゃって、いいのかな」
「いいですよ。俺が告白を断るのは、別にルールを守りたいからじゃないです。普通に、先輩しか好きじゃないからってだけなので」
ふんわり微笑まれたら、止まりかけていた涙がまたこぼれだした。
佑哉は僕の両手を軽く握る。
「分かった。この校則は多分、『建前』というものを教えるためのものですよ」
「……?」
「大人社会なんて、本音と建前の使い分けじゃないですか。そういうのを訓練するためにあるんです。名目上の交際禁止を掲げることにより、いかに表面を繕ってうまく生きていくかを教えてるみたいな」
「何その無理やりな理論」
「そういうことにしておいてください。先輩はいま、勉強中なんですよ」
変な理屈だ。
なのに、佑哉に言われると、納得してしまう。
「この間の、叶えてあげる。先輩リクエスト。何がいい? すっごくエッチなのでもいいよ」
「……筆とか変なのはいいから、普通にゆっくりしたい。それで、たくさん好きって言って欲しい」
涙を拭いて顔を上げたら、佑哉は溶けそうに笑っていた。
「今夜はずーっと言ってあげる」
暗闇の中、佑哉の滑らかな背中を掻き抱きながら、ぼんやりと考える。
佑哉との初キスを『秘密にして』と嘆願した時点で、僕はもう、風紀委員長としての何たるかなんて持ち合わせていなかったし、いまさら追い求めるべき資質なんて、ないのだ。
耳元で何度も「大好き」とささやかれながら、僕は、この幸せだけを大切にしようと決めた。
ともだちにシェアしよう!