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3章 ①

  「透瑠くん、こないだ試食してもらったカレーなんだが、どう思う?」  マスターが美味しそうな匂いをぷんぷんさせながら厨房から現れた。 「あ、あれ。すごく美味しかったです。スパイスがいいカンジで食欲そそるっていうか……」  マスターは満足げにうなずいて、 「そろそろ新メニューとして出してみようと思うんだ。そこで透瑠くんに頼みがあるんだが」 「何ですか?」 「新メニュー用のポップを描いてほしいんだ」  え……。  透瑠は一瞬尻込みした。 「好きなんだろう? 絵を描くの」 「な、なんで……」 「この間、お客さんのお子さんと一緒にお絵描きして遊んでたじゃないか」  さっと頭から血の気が引いた。  マスター、見てたんだ。 「す、すみません、あれはサボったわけじゃなくて、あの、その……」 「ああ、違う違う。あのお母さん、仕事の原稿に集中したくて、透瑠くんが子供の相手してくれて助かったって言ってたんだよ。それに、その時の透瑠くん、すごく楽しそうだったから」  マスターはニコニコ笑顔を崩さずに、透瑠を見つめていた。  *** 「お、何描いてんだよ」  いつものように菓子とケーキを持ってきた真治が、カウンターで画用紙に向かう透瑠の手元をのぞきこんでくる。 「あっ、まだ……」  慌てて隠したものの、こぼれ落ちた一枚を拾われてしまう。 「へええ、美味そう。――マスター、カレー始めんの?」 「もう少ししたらね。びっくりさせたいから、怜くんにはまだ内緒だよ」  ホッホッホッ、とマスターがいつもの笑い声を上げる。  真治が画用紙を持ち上げて凝視しているので、いたたまれなくなってきた。早く返してほしい。 「んで、これお前が描いたの」  と視線を寄越す。 「透瑠くん絵が上手だから、描いてもらってたんだ」  代わりにマスターが嬉しそうに答えて、透瑠は俯いてしまった。 「へえ、すげぇな」  真治は透瑠の手元にあるのも強引に引っ張り出す。まだ未完成で、人に見られるのは恥ずかしい。 「――なあ、こういうの、うちの店のも描いてくんねえ? なんか女子が喜びそうなやつ」 「え……」 「ああ、それはいいねえ。透瑠くん、ぜひ描いてやんなさい。真治くんは絵心なさそうだし」 「え、でも……」 「店は大丈夫。出張、てことにしとくから」  この近距離で出張? と真治が笑った。 「まあ急がないからさ。決めたら店に来てくれよ」  ようやく画用紙を透瑠に返してくれた真治は、そう言い残してケーキの空箱を肩に担いで帰って行った。 「マスター……」

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