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4章 ②

   コウちゃん親子が帰ってからも、怜はズルいズルいと繰り返していた。  幸い、今のところヤスさんの他に客はいない。 「あーもーうるせー。お前さっさと帰れ」 「やだ。まだいる」 「怜くん、仕事は?」 「今日はもう家でやるもん」  いつもの定位置で頬杖をついて、怜はブスくれている。  透瑠はカウンターの中でため息をついた。  なんでそんなに頭を撫でることに拘るか分からないが、大人げないことこの上ない。  透瑠も頭を撫でられるくらい、と思うのだが、怜に触れられると過敏に反応してしまう。他の人は平気なのに、何故だろう。  ふと視線を下げると、さっきコウちゃんが描いてくれた透瑠の似顔絵が目に入った。  可愛かったな、コウちゃん。  施設にいた頃、同じくらいの小さい子が慕ってくれて、よく遊んでいたことを思い出す。  親に育児放棄されて、施設に預けられた子だった。元気にしているだろうか。  コウちゃんとお母さんの姿を見ていると、複雑な思いにかられてしまう。微笑ましい気持ちと、羨ましい気持ちと。  もう自分には親はいない。自分をあんなふうに愛してくれる人はいないのだ。  ふと、頭に温かいものが触れた。 「――スキあり」  ぐふふ、と顔に似つかわしくない声で怜が笑った。 「怜さんっ」  慌ててカウンターから離れる。  ちぇっ、と舌打ちしながら怜は手を引っこめた。 「……昔を思い出してた?」  鋭い。子供みたいな言動するくせに。 「俺、いいこと知ってるんだ」  宝物を見つけたみたいに、瞳をキラキラさせている。 「……何」  一応、尋ねてみる。 「透瑠くんがご両親にもらったプレゼント」 「そんなもんねえよ。あったとしても覚えてねえし。大体、なんであんたにそんなこと分かるんだよ?」 「――名前」 「え……」 「名前は赤ちゃんへの最初のプレゼントでしょ? 俺ねえ、漢字の意味調べたんだ〜」  と、スマホを取り出した。 「まずね〜、『透』は透明感のあるとか、澄んだ心の持ち主とか。『瑠』はねえ、瑠璃色とかの瑠で、ラピスラズリって青い宝石のこと」  ほらこれ、とスマホの画面を指し示す。そこには深い藍色をした石の写真が映っていた。 「綺麗だよねえ。光輝くイメージもあるけど、幸運をもたらすって石言葉を持ってるんだって。でもただの幸運じゃなくて」  怜は透瑠の瞳をじっと見つめた。いつになく真剣な表情で、目を逸らせない。 「試練や苦難を乗り越えて、手に入れられる幸運って意味らしいよ。いいよねえ。透瑠くんのご両親が、一生懸命考えてつけた名前なんだろうなあって」  怜は、極上の笑顔を見せた。 「俺、透瑠って名前、すげぇ好き」  ――そんなふうに。  そんなふうに、考えたことなかった。  そういう怜がすごく眩しくて。その言葉に。笑顔に。――惹かれてしまう。  透瑠はただ、見惚れることしかできなかった。  そんな透瑠を見て呆れたと思ったのか、怜が狼狽えたように、 「あれっ、もしかして俺、恥ずかしいこと言った?」  と、助けを求めるようにきょろきょろした。それを見た真治が 「あーあー、そうだな。その通りだ。――でも、お前は正しいよ」  一言発して、またマスターとの打ち合わせに戻った。マスターはニコニコして透瑠と怜を見つめていた。   「……そ、そういえば、カレーのポップ早く返せよ」 「ああ、うんごめん。もうちょい貸して」  手を合わせて、少し首をかしげる仕草はわざとなのか、天然なのか。 「……気をつけろ。そいつ何か企んでるぞ」  真治から忠告が飛んできた。

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