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6章

「さ、どーぞ入って」 「……お邪魔します……」  会社の事務所なんて初めてで、透瑠はおそるおそる摺りガラスのドアをくぐった。 「わ、萩原くん、そのコ誰? 可愛い~」  いきなり書類の束を抱えたスラリと背の高い綺麗な女の人が近づいて来た。 「こんにちは」  ピンクのグロスが綺麗に塗られた唇を持ち上げて笑いかけてくる。少しつり上がった目尻が下がって優しい印象になった。 「こ、こんにちは……」 「沙雪さん、それ以上近づいたらダメ。あんまり人に慣れてないんだから」 「え~、仲良くしたい~」 「後で後で。ちゃんと仕事で来てるんだから」 「ということは、このコ?」 「そ。今回のイラストレーター」 「わあ、そうなんだ~よろしくね。私、伊藤沙雪(いとうさゆき)。コピーライター」  差し出された細い手をそっと握る。 「あ、水沢透瑠、です……」 「透瑠くんかあ。あなたの描いたアレ、すっごくよかったよ。これから一緒にがんばろうね」 「だから近づいちゃダメって。透瑠くんも気をつけて。この人、『触るな危険』だから」 「何よそれ。私は猛獣か何か?」 「似たようなもんでしょ」  がおーっと今にも吠えかかりそうな沙雪を尻目に、(さとし)は透瑠を奥の部屋へと連れていく。 「三角(みすみ)さん」 「お〜、来たか。入って入って」  開きっぱなしのドアをひょいとのぞいて、怜が中の人物に声をかけた。  三角と呼ばれた男が少し飛び出た腹をゆすって、分厚い黒縁眼鏡をずり上げながら髭の生えた顔を上げた。無精髭なのか、きちんと手入れされた髭なのかよくわからない。 「水沢透瑠くんです。透瑠くん、アートディレクターの三角さん。チームで一番偉い人」 「み、水沢です……」  萎縮しながら、一応自己紹介までは頑張る。 「おう、よく来たな。口は悪いけど慣れてくれ。お前のあのイラスト、今回の俺のイメージにぴったりなんでな。こいつに無理言って連れてきてもらったんだ」  と言って、持っていた書類で怜を指し示した。 「三角さん、こう見えてもけっこうすごい人なんだよ! 賞もいろいろもらってるし」 「『こう見えても』は余計だ」  三角は丸めた書類で怜の頭を軽くはたいた。  すぐに、打ち合わせが始まった。  アートディレクターの三角、コピーライターの沙雪、グラフィックデザイナーの怜、そしてイラストレーターの透瑠、というチームだ。 「今回の案件は、創立30周年を迎える遊園地、ドリームランドのイベントポスターだ。締め切りは来年の1月」  資料が手元に配られた。 「親子で楽しむイベント盛りだくさん、なのでファミリー向けのこう……ほわほわした感じが欲しいらしい。まあ詳しくは資料をみてくれ」  ほわほわ……。 「イメージできそう?」  隣の席から心配そうに怜がささやいてきた。 「うーん……分かんねえ……」  パラパラと目の前の資料をめくる。  第一、親子で楽しむというところがすでにネックだ。透瑠には親と何かを楽しんだ記憶がないのだ。 「今回、イラストレーターとして水沢くんの起用を試みたんだが。どうだ? やれそうか?」  三角に正面から聞かれて、答えに戸惑う。やってみないとわからないというのが正直なところだ。 「透瑠くん、嫌なら無理しないで……」  怜がこそこそ言ってくるのに、なぜかカチンと来た。 「――はい。大丈夫です」  気が付いたらそう答えてしまっていた。

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