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8章 ②

 あそこでマスターが帰って来なかったら。  もしかして……キス、されていたのだろうか。  透瑠にはそういう経験がないので、分からない。  怜がどういうつもりであんなことをしたのか。あの言葉の意味は。  すぐ隣にいて、訊こうと思えば訊けるのに、口には出せなかった。  怜は十も年上だ。経験も豊富だろうし、わざわざこんな子供に、しかも男に手を出すとは思えない。  ……あのとき、泣いてしまったから。同情、かもしれない。怜にとってはキスなんて、軽くできてしまうものなのかもしれない。 「透瑠くん、アトラクション何が好き?」  ぼんやりと物思いに耽っていたので反応が遅れた。 「……え、何って……行ったことないから、分かんねえ」 「遊園地そのものに?」 「わ、悪かったな」  ふいと顔を窓に向ける。両親と死別したのは3歳の時だ。もしかしたら行ったことはあるのかもしれないが、記憶には残っていない。 「そうなんだ! じゃあ今日初めて、全部俺と一緒に経験するってことだね。嬉しいな」  からかわれると思っていただけに、怜の反応は予想外だった。  思わず目を見開いて、怜の顔を見つめる。サングラス越しの視線は優しくて、透瑠は腰の辺りが疼くのを感じた。……こんな優しく見つめられたら、特別な感情があるのではと誤解してしまう。 「じゃあまずねえ、定番のジェットコースターとお化け屋敷かな。天気がいいから観覧車も外せないよねえ。あと……」  ウキウキしながら話しだした怜の横顔から、透瑠は目が離せなかった。  朝早く起きたおかげで、開園前に到着することができた。平日だからと油断していたが、意外と人が多いのに驚く。  ジェットコースターの前に行くとすでに行列ができていたが、そこまで長くなかった。だが夏本番ではないとは言え、直射日光の真下はそれなりに暑い。 「あっついねえ」  と怜が言いつつ、斜めに背負っていたショルダーバッグから、ハンディタイプの扇風機を出してくれた。顔に当たる風が心地よい。  「用意いいな」 「これ? 遊園地行くって言ったら、真治が貸してくれた」  だから俺の手柄ってわけじゃないんだけどね、とチロッと舌を出す。 「……仲いいよな。真治さんと」  ここに来ることを話してしまうくらいに。 「ん? まあねえ。小学校からのつきあいだし。あ、ほら昨日話したじゃん。昔イジメられてたって」  黙ってこくりと頷く。――ついでに昨日抱きしめられてたことを思い出して頬が熱くなるのを感じた。 「そんときも俺、クラスの奴らに囲まれて殴られそうだったんだけど。真治がたまたま通りかかって、『何やってんのお前ら』って」  当時を思い出すかのように、怜はクスクス笑い出した。 「真治、すでに体デカかったからさ。奴ら皆ビビっちまって……それから何となくつるむようになったかな。……ていうか、いつの間に真治のこと名前呼び?」  そこに突っかかってくると思わなかった。 「あんたのことだって名前呼びなんだから、別にいいだろ」 「ケーキのポップだってさあ、俺の知らない間に依頼請けちゃって。『MINEZAKI』行ってから気づいたもん、俺」  ぷうっとまた膨れっ面をする。真治が『もう似合う歳じゃないと自覚しろ』とたしなめていたのを思い出して、透瑠は吹き出してしまった。 「え〜、そこ笑うとこ!?」  怜がさらに拗ねてしまったので、透瑠はますます可笑しくなって、久々に声を上げて笑った。

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