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9章 ①
「ん? お前、今日年休じゃなかった? 水沢くんまで」
あれから急いで事務所まで戻った。珍しく怜 は一言も喋らず、音楽すら流れなかった。
透瑠もいつになく真面目な雰囲気の怜に圧されて、話しかけることができなかった。
「三角さん。――あ、沙雪さんもちょうどよかった、来て来て」
ハイヒールを鳴らして沙雪がこちらに歩いてきた。
「何よ急に現れて。――あ、透瑠くん、こんにちは」
「なんで沙雪さん名前呼び?」
四人で簡易的に仕切られたブースに入る。「ふーん。タイムカプセルねえ」
「ね? 30年だもん。今は大人になった人が子供の頃、自分の親との思い出を掘り起こして、新たに自分の子供と思い出を作っていくの。なんかその辺うまいこと……できないかなあ」
ね、と怜は沙雪の方を見る。
「うーん。そうねえ……面白いかも」
沙雪は顎に手を当てて、考え込んだ。
ブースを出て、怜が透瑠に向かって両手を合わせた。
「透瑠くん、ホントにごめんね。今日の分、仕切り直すから。また一緒に行ってくれる?」
拝むように謝ってくる怜を見て、透瑠はため息をついた。
「大丈夫だって。俺も、なんか描けそうな気がしてきたから。家帰って……」
「あ、待って待って。透瑠くんまだ帰らないで〜」
沙雪がブースから出てきて手を振った。
「コピー、練り直そうかと思って。透瑠くんの絵を見たいの。よかったら会議室貸し切るから、そこで描いてみてくれない?」
「え……」
家でなくて出来るだろうか。
「透瑠くん、今日、どうだった? 楽しかった?」
怜が隣から聞いてくる。
「うん……楽しかった……かも」
「その気持ちが消えないうちに、ちょっと絵にしてみてくれる?」
怜がニコニコしながら、透瑠を見つめる。
「三角さん、会議室1入りマース。勝手に入ってこないでね」
こっちこっち、と怜に背中を押されて小さな部屋に入る。紙束を抱えた沙雪もそれに続く。
「あたし入っても平気?」
と透瑠に聞いて来るのに、怜が
「仕方ない、許可する」
なんであんたの許可が必要なのよ、と文句をつけながら沙雪がテーブルの角を挟んで座る。
「とりあえず思いつくまま。描いてみて」
怜が画用紙の束と、50色くらいはありそうな色鉛筆の箱を手渡してくる。
「あたし達のことは気にしないで。それぞれ別世界に入るから」
ニッと二人で笑いかけてくる。
「今日のこと思い出してみて」
今日のこと……。
怜がカッコよかった、とか。怜がジェットコースター苦手だったとか。観覧車一緒に乗りたかったな、とか。でもまた一緒にって約束してくれて嬉しかったな、とか。
思い出を、保管する。
また一緒に行ける。思い出を掘り起こしに行ける。
自然と頬が緩むのを感じた。
その気持ちを、画用紙に描いていく。画用紙の中に入り込んでいく。世界が遠くなっていく。
気づくと、窓の外が真っ暗になっていた。
隣では沙雪が突っ伏した体勢で眠っている。怜はいなかった。パソコンは明るいままだから、席を空けているだけだろうか。姿が見えないだけで、不安にかられた。
そこに、水の入ったペットボトルを3つ持った怜がドアから顔をのぞかせた。
「あ〜おつかれ〜」
少しやつれている気がする。
「すんごい集中してたね〜。疲れてない?」
はい、と渡されたペットボトルを受け取る。
怜が沙雪の肩に、そばにあったカーディガンをかけてやる。……少し胸がチクンと鳴った。
「……すごいのできたね」
そう言われて、初めて自分の絵を目にする。
「みんな楽しそう。透瑠くんの、気持ちが伝わってくるよ」
怜が透瑠を見つめる。
「遊園地、一緒に行けてよかった」
そして優しく微笑んだ。
「うーん」
「あ、ライオンが目を覚ます」
怜が沙雪をみてそう言うので、つい笑ってしまった。今は、とりあえずこの絵が描けたから……満足……かな。
「透瑠くん?」
ふらっと頭が回った気がしたが、それから意識が遠くなってしまった。
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