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9章 ③
しばらくして、「透瑠くん大丈夫〜?」とドア越しに怜の声がして、はっとした。
裸であることをすごく意識してしまって、「うるさいっ」と返してしまい、また自己嫌悪に陥ってしまった。
怜に対してはいちいち反応が過敏になってしまう。
鏡に映る、怜のシャツを着た自分を見て、またヘンに錯覚してしまう。
この間のことを思い出して――身体が疼く。
透瑠はバスタオルを頭から被って、わざと乱暴に濡れた髪を擦った。
――考えない、考えない。あいつにとって大した意味はない。俺が、考えすぎてるだけ。
暗示をかけるように、何度も心で繰り返した。
***
「……あんた、料理の才能はなさそうだな」
透瑠は怜の作り直した卵焼きを口に入れて一言漏らした。
「そう? そうかなあ……あ、しょっぱ」
「塩入れすぎ。逆に味噌汁、味なさすぎ」
「うー……ごめん……」
箸をくわえたまま素直に謝る怜を見るとかわいそうになってきた。店のメニューはすんなり作ってたのに、ヘンなの。透瑠は思わず苦笑した。
「でも、作ってくれて、ありがとな」
それを聞いた怜は、ぱあっと顔を輝かせた。
本当に、子供みたいだ。
十も年上なのに。
じっと怜が視線を送って来るのに、
「……何?」
「よかった」
「何が?」
「透瑠くん、最近よく笑うようになった。最初の頃、無表情っていうか、感情を出さないようにしてたっていうか」
心の底を見透かされたようでどきりとした。自分の言うことなんて誰もきいてくれない。どうせ無駄。黙って言うことを聞いていた方が楽。ずっとそう思っていた。
この街に来て、マスターに救われて、いろんな人に触れ合って。……怜に会えて。
いつの間にか、笑うことを思い出せたんだな。
ふと、向かいの席から手がそっと伸びて来て、頭に乗った。
怜が瞳を細めて見つめてくる。
「……もう、怒らなくなった」
怜の手は温かい。この温もりから離れがたくなっている。
いきなり電子音が鳴り響いた。
ひゃっ、と小さく声を上げて、怜はテーブルの隅に置いていたスマホを取り上げた。
「あ、おはようございます〜。え、メール? ……はいはい、今起ち上げるから……はあい」
電話を切ると、怜はにっこり笑って、透瑠を見た。
「三角さんから。仕上がり確認してって。一緒に見よ?」
寝室の隅に陣取る大きな画面のパソコンの前に座り、怜が添付ファイルを開いた。
「わあ……」
「うん、上出来」
昨日、自分が描いた絵がパソコン上で見られるなんて変な感じだ。
遊園地に来た人たち、皆が幸せになるといい。楽しかった、また来ようねといって家路についてくれるといい。そう思いながら描いた気がする。
気がする、というのは途中から世界に入り込みすぎていて記憶がぼんやりしているからだ。
「ありがとね。透瑠くんに頼んでよかった!」
感謝されることに慣れてなくて、戸惑ってしまう。
「い……いや、俺は言われた通りしただけで……」
「ううん、言われた以上のが描けたからオッケー出たんだよ。透瑠くんにしか描けない絵が」
「俺にしか……」
「えらいえらい」
また頭を撫でられた。子供扱いしてると思ったけど、今は腹は立たなかった。ただ、ドキドキして胃の辺りがきゅっと縮んだ。
「すごくいいと思う。クライアントの要望だった、ほわほわしてるっていうのも出てるし。――さあ、次はプレゼンがんばらないと!」
立ち上がって、うーんと伸びをする。
「プレゼン?」
「うん、クライアントは何社か依頼してるから、プレゼンで説明してアピールして、うちにお願いしてもらわないと」
怜はニッと笑った。不覚にもカッコいいと見惚れてしまう。
「あっ」
「ん?」
「透瑠くんの髪、俺のシャンプーの匂いがする」
「あ……当たり前だろ!」
顔を寄せてくんくんと匂いを嗅がれ、透瑠は顔に熱が上がるのを感じて、思わず身を引いてしまった。
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