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12章 ①

(さとし)くん、大丈夫かい? 顔が赤いよ」  怜の体調不良にいち早く気づいたのはマスターだった。怜が閉店までいることはあまりないのだが、今日は昼から指定席に座りこんであまり動かなかった。  透瑠も最近は用事がないと声をかけないし、あまり視界に入れないようにしていたので、気づかなかった。  「うん……平気」  マスターが怜の額に手をあてる。 「うーん、熱がありそうだな。とりあえず、奥行って休みなさい。ええと、体温計、あったかな……」  マスターがさくさくと控室に布団を引いて、怜の腕を自分の肩にかけた。透瑠は一瞬ためらったが、慌てて反対の腕をとった。 「うーん、ちょっと高いかな。調子悪かったのかな? 他に痛いとことかある?」  怜はゆっくりと首を横に振った。  もう病院は閉まっている時間だ。マスターはしばらく思案していたが、 「救急病院行くまでもないかなあ。怜くん、今日はここ泊まったら。僕がついてるから」 「ううん、大丈夫……帰れる……」 「でも帰っても一人だろう? それならここにいた方がいいよ。あ、透瑠くんはもう大丈夫だよ。後片付け終ったら……」  透瑠は口に出すか出すまいかずっと迷っていたが、声を上げた。 「マスター、帰ってもらって大丈夫ですっ。だって、灯里さんまた明日から海外だし……怜さんは、俺が看てるんでっ」 「え? でも……大丈夫かい?」 「俺、施設いるとき、小さい子とかよく看病してたから……慣れてるから」  じゃあ頼むね、と手を振るマスターを見送って、部屋に戻る。  すうすうと寝息をたてている怜の顔を眺めながら、ため息をつく。  ああ、やっぱり早まったかな。  病人とはいえ、二人きりだ。  マスターが自分の着替えを出してくれて、濡らしたタオルで怜の身体を拭いてくれるとこまでやってくれたので助かった。  怜の身体はギリシャ彫刻みたいに整っていて、つい見惚れてしまった。でも見ていたら心臓が破裂しそうな気もして、目を逸らした。   怜は時折きつそうに眉を寄せ、深く息をつく。熱を測ると、先程より少し上がっている。  次の仕事が行き詰まっているのだろうか。最近は昼からここに来て、夕方近くまで頭を抱える姿をよくみていた。  心配にはなったが、透瑠から声をかけることはできなかった。 「ん……」  怜が苦しそうに寝返りをうった。汗だくになっている。  透瑠は濡らしたタオルを持ってきて、深呼吸した。  相手は病人。施設のガキんちょと同じ。  自分に暗示をかけて、怜の顔を拭いてやる。続いてシャツを捲りあげ、上下する胸や腹。  全身が心臓になったように、ドクドクしている。  頭をそっと撫でると、安心したように穏やかな表情になったのでホッとした。  本当に、綺麗な顔をしている。  熱のせいか、頬もバラ色でフランス人形を思い起こさせる。  最近、まともに顔を合わせて話してなかったので、こんなに眺めるのはずいぶん久しぶりな気がする。  長い睫毛。真っ直ぐな鼻梁を通って、紅い唇が目に入った。  ……こんな機会、もう二度とない。  そう思ってしまうと、もう視線が外せなくなってしまった。  俺は、何をしようとしている?  もう一人の自分が制止しようとしたが、体は止まらなかった。  そっと、頬の横に手をつく。  整った顔に、自分の顔を寄せていく。  その紅い唇におそるおそる、自らのを重ねた。 「……っ」  怜が身動いだ。透瑠は慌てて体を離した。  心臓がうるさいほど鳴っている。頬が熱くてたまらない。 「……バカみたいだ」  口にしてしまうと、涙がぽろりと零れた。  こんなことしたって、虚しいだけだ。  怜が好きだ。それを再確認したって、怜が振り向いてくれるわけでもない。 「う……っ」  腕で口を抑えて声が漏れないようにして、体を丸めて透瑠は泣き続けた。

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