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4.理想の父親

 夜の客足が遠退いたあと、まかないのハヤシライスをマスターと二人で食べた。  カメリアに住み込んでいるのは到流だけが、他にも時間帯によってはパートタイマーが入ったりする。しかし今日は二人きりだった。料理はマスターが一人で作っていて、到流は主にフロア担当だったが、そう広い店でもない。 「到流くん、文雄となんか話した?」  スプーンを運びながら聞いてきたマスターに、到流はなんと答えたものか迷った。  少し黙っていたら、ふとマスターの口髭にハヤシライスが付いているのに気づき、思わずじっと見つめる。 「なんだい」 「口拭いてください」 「ん? ああ、ありがとう」  そのへんにあったティッシュを箱ごと押しやると、マスターは照れたように笑った。  カメリアは、古い店だ。そこの看板娘ならぬ看板マスターは、常連客に愛され、店員に慕われる人格者とも言える。60を過ぎて独り身だが、詳しい事情を聞いたことはなかった。特別に慕っているというわけでもないが、マスターは到流にとって不快な存在ではない。  父親がこんな人物だったら良かったのに、とふと思う。  到流の持ってきた荷物の奥に仕舞われている手紙の存在が、急に思考の海にぷかりと浮いてきた。  ぷかぷかと浮き沈みを繰り返しながらも常に到流の中にあるそれは、祖母の家に住んでいる時に送られてきた、父親からの「会いたい」という手紙だった。  今は懲役を終えて、どこかでひっそりと暮らしているのだろう。きっと地元の漁師町には戻れない。どこか違う場所で、生きている。  手紙が来た時にすぐ会っていれば良かった。けれど決められないままに時間ばかりが過ぎてしまい、それが心のささくれとなっていつまでも残っている。  それを後悔と呼ぶなら、到流は父親を許しているのだろうか。  違う。  冤罪とは言え、到底許せるものではなかった。むしろ冤罪だからこそ、許せないのだ。ただ、一度ちゃんと話した方が良いのだろうと、そう思っているだけに過ぎない。  後片付けをしてから部屋に戻り、一人になる。ふと祖母の声が聞きたくなり、一階にある薄桃色の電話を借りようかとも思ったが、もう遅い時間だったので思いとどまった。  暖房を入れながらも窓を開け、昼間と同じ隣のコンクリート壁をなんとなく眺める。好きなように壁を這う蔦が何故か、明確な意思を持って蠢く生き物のように見えた。  植物にも意思はあるのだろうか。あるのだとしたら到流は、蔦にも劣るちっぽけな存在だ。何故かふと、そんなことを考えた。

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