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7.対価を求めない優しさ
洋食屋・カメリアに戻ると、マスターが食器を拭いているところだった。店内に客はおらず、懐メロが小さく流れているだけの静かな空間だ。文雄の言葉どおり、誰かと密会でもしていたのかとも思ったが、他人の気配はなかった。
「やあ、到流くんおかえり」
「遅くなって、すいません」
「いや、いいんだよ」
マスターに頼まれた食材等を冷蔵庫や根菜の貯蔵箱などに黙々と仕舞っていると、マスターが厨房の邪魔にならないところに置かれた椅子に腰を下ろした。
「助かったよ。いつもありがとう」
「……いえ。これ、伝票です」
代金はあとでまとめて支払うらしく、その場では購入伝票だけを渡された。それを受け取り目を通しているマスターは、にこりと人の好い笑みを浮かべる。
「はい確かに。ご苦労さま。これからも頼むことがあるかもしれないから、あの店のおじさんとは仲良くしておいで」
「なんか、マスターが電話したら届けてくれるって聞いたんですが」
「到流くんは買い出し嫌いかい」
「特に好き嫌いとかではないです」
ただ、届けてくれるならその方が手っ取り早い気がした。マスターは曖昧に笑って、買い出しの理由については述べなかった。
本当に単純に、到流に対しての配慮だったのかもしれない。
ふといたたまれない気持ちになった。自分の服の裾をぎゅっと握り、このもやもやした気持ちはなんなのだろうと考える。
「そいや、マスターって恋人とか、いるんすか」
「なんだい、いきなり」
マスターは脈絡がないと思えるような問い掛けに、目を少し大きくした。
「いや、言いたくないなら別に」
「私の恋人は……そうだなあ。今はいないね。昔妻を亡くしてね」
どきりとした。
そんな情報は初耳だった。マスターは少し寂しそうに笑い、それ以上は詳しく教えてくれなかった。
マスターも文雄も、到流に何故だか優しい。何か他意があってのことなのだろうか。赤の他人に対し、対価を求めず優しさなど向ける人間がいるだろうか。到流にはわからなかった。
それとも、大切な何かをなくした人は、痛みを知るがゆえに他人に優しくなれるのだろうか。
何か言いたくなったが、考えがまとまらないうちに出入口の扉が開いて、二人客がやってきた。期を失った疑問は宙ぶらりんになり、靄は晴れぬままとなった。
仕事の打ち合わせか何かに来ているのかもしれない。二人の男性客はスーツ姿で、一方は酷く痩せぎすの神経質そうな40代くらいの男、もう一方の眼鏡をかけた客は到流と同じくらいに見えた。眼鏡の客の手には、頑丈そうなアタッシェケースがあった。
「ホットコーヒー二つ」
到流がオーダーを取る前に、眼鏡の客が短く言った。
「か、しこまりました」
なんだか取り付く島もないような客は、到流など目に入らぬかのようにアタッシェケースから何やら書類を取り出して、痩せぎすの客に提示している。到流はすぐにその場を離れ、厨房のマスターにオーダーを告げた。
注文の品を持って行く際に、会話の一部が耳に入った。
「……にはシステムを……ます……」
「進捗は……?」
ぼそぼそと話をする二人の会話の内容はよくわからない。進捗がどうのと聞こえたので、仕事の打ち合わせなのだろう。どの道到流には関係ない。
「到流くん、ちょっといいかい?」
マスターから声を掛けられたので、客に向けていた意識を戻した。暇だからと言って聞き耳を立てるのは良くない。
「ここの伝票の六行目なんだけどね……」
「え、なんか間違ってました?」
買い出しの品について、発注と違っていたことに気づいたらしいマスターからの指摘を受けた。急遽交換に行く羽目になり、到流は再び店を出る。
外は雨が降りそうな、どんよりとした空に変わっていた。
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