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第6章 (1)
いったいあれは、なんだったのだろう。
何度思い返してみても、群司には、その理由がわからなかった。
昨日、天城瑠唯との食事を終えて墓所へ引き返した群司が目にしたのは、天城製薬の薬理研究部に所属する早乙女の姿だった。
眼鏡はかけておらず、すっきりと整えた髪はゆるやかに後方へと流されて、いつもは不自然なまでに隠されている素顔が露わになっていた。
全体的に線が細く、人形のように整いすぎているその容姿は、別次元に存在するもののように美しかった。食堂での一件がなければ、とても同一人物として認識することはできなかっただろう。
表情の消えた横顔に、群司は思わず目を奪われた。
なぜこんなところに……。
混乱と動揺をおぼえながらも、群司は早乙女と鉢合わせするのを避けるため、すぐさま来た道をとって返して物陰にひそんだ。いま、このタイミングで顔を合わせるべきではない気がしたからだ。
早乙女が兄の墓前に佇んでいたのは、群司が到着してからさほど長い時間ではなかったように思う。
墓碑を凝然と視 つめていた早乙女は、やがてふっと小さく息をつくように躰から力を抜くと身を翻し、その場から立ち去っていった。建物の影に身を寄せる群司には、最後まで気づかないままだった。
早乙女が立ち去った墓前にあらためて近づくと、そこには白い百合の花束が置かれていた。
兄と早乙女は、知り合いだったのだろうか。
思いあたることがあるとすれば、坂巻から聞いた伊達という男の存在である。営業部に配属されて以降、薬剤に関する専門知識を学ぶためと称して、一時期早乙女の許へ通いつめていたという。その男が、潜入捜査のために身分を偽った兄であるならば、ふたりのあいだに接点があってもおかしくはない。だが、もしそれが事実であるとすれば、秋川家の墓を訪れた早乙女は、兄の正体を知っていたことになる。そして、ひょっとすると兄の死の真相さえも……。
ふたりは、どういう関係で、どんな繋がりがあったのだろう。
敵か、味方か……。
「大丈夫か? 疲れた顔してるな」
肩をポンと叩かれて、群司はハッとした。
創薬本部二十二階にある休憩スペースで、昼休み、食事を終えたあとにコーヒーを飲みながらぼんやりしていたところだった。
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