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第6章 (3)

「群ちゃん、あのあともたまに社食利用してるよね。会えた?」 「あ、いや……」  うかつにそんな話をすべきではなかった。  少々の気まずさをおぼえながら、群司は手もとの紙コップに視線を落とした。 「研究者っぽい雰囲気だったって言ってたからさ、創薬の人間かなぁとか思ったりもしたんだけど、該当しそうな人間って思いあたらないよね。なんだっけ。眼鏡美人男子?」 「あ、えっと、まあ……」  眼鏡男子ならうちの班にも豊田筆頭に何人かいるけど、美人ではないよなと坂巻は笑う。群司は返答に困って言葉を濁した。  該当者ならすでに、あの直後に把握済みである。まさか坂巻に話を振った数分後に会議室で再会するとは思ってもみなかった。  だが、いまの坂巻の反応からすると研究者としての早乙女は、容姿の面ではやはりこれといって印象に残らない存在なのだろう。  真面目でとっつきづらく、仕事以外で関わることは遠慮したい人物。おそらくは有能であることとセットで、早乙女はみずからに厚い壁を施している。  有能で切れすぎる部分はかわいげのなさに置き換えられ、正論で詰めてくる部分は嫌味で傲慢な野心家と映る。線の細さは、さまざまな負の要因によって貧相という認識へと塗り替えられて、本人の実体を見事なまでにぼかして見えづらくしていた。  霊園ではじめて素の状態をさらした早乙女の姿が脳裡に甦る。あれほどの美貌を完璧なまでに打ち消してしまえる技量は、やはり群司の目に、警戒すべき対象として映った。  早乙女圭介という人間は、得体が知れない。 「残念ながらあれっきり、見かけたことはないですね」  群司は、殊更なんでもなさそうに答えて肩を竦めた。ひょっとすると、自分の願望が見せた思いこみだったのかもと。 「え? 群ちゃんにもそういう願望ってあるんだ」 「そりゃありますよ。俺だって普通の男ですから」 「まあねぇ、健全な男子大学生だもんね。けど、健全でノーマルなのに、願望の具現化が男なんだ?」 「無意識のうちに、予防線張ってたのかもしれませんね」 「予防線? なんかトラウマでもあった?」 「いや、トラウマって言うほどでもないと思うんですけど」  群司は白状するように言った。 「ほかのことにかまけすぎてたせいで、付き合ってた相手に愛想尽かされたとこだったんで」  八割がたは事実である。ただし、つい最近の話ではない。  一年前、群司にはカノジョと呼べる存在がいた。ふたつ下のサークルの後輩で、こんな言いかたは気が引けるが、向こうから積極的に交際を求められ、なんとなくなりゆきで付き合いはじめた相手だった。だが、兄の一件以降、群司には相手をかまっている余裕がなくなった。そしてそのうち、フェリスに関する情報収集に没頭するようになり、友人たちとの付き合い以上に希薄な関係になっていった。その結果、クリスマスまえに先方から見切りをつけられたのである。

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