81 / 234

第8章 第3話(3)

「すごい、ですね。まるで魔法みたいだ」  うまく笑えた自信はない。だが、なんとか場を繋がなければと無理やり言葉を捻り出し、結果、ひどく(つたな)い物言いとなった。天城瑠唯は、とくに違和感をおぼえた様子もなく、「そうね、完成したら魔法の薬」と歌うように同意した。 「マージナル・プロジェクト――すなわち、境界にあるものを創り出す計画。人でありながら、人ならざる能力を備えた存在を生み出すこと。この新薬を完成させることによって、人は、神の領域に踏み出すことさえ可能になる」  背筋を、冷たいものが滑り落ちた。  彼女は、兄の想い人にはなり得ない。ずっと抱いてきた思いは、この瞬間に確信へと変わった。  陶然と計画について語る天城瑠唯の姿は、みずから進んで狂気の淵に身を落とそうとするカルト信者を思わせた。  視線が無意識のうちに別の人間を探し、入り口付近で止まる。  入室したところで足を止めたらしい早乙女は、身をひそめるように部屋の隅に佇んでいた。  俯いたその顔から表情を読み取ることはできない。ただじっと、気配を殺して立ち尽くしていた。 「人類を至上の幸福へと導く薬」  天城瑠唯の言葉はなおもつづく。そしてついに、決定打となる言葉がその口から発せられた。 「物質を発見した人物の名前に因んで、わたしたちはこの薬を《フェリス》と呼んでいる」  覚悟をしていたはずなのに、目の前に爆弾を落とされたような衝撃が奔った。  動揺を覚られてはならない。いま、天城瑠唯と正面から視線を交わしてはならない。  興味を惹かれたふうを装って、群司は意図的にガラス窓の向こうを食い入るように()つめる。表情を押し殺すことに、全神経を集中させなければならなかった。  はじめて聞いた言葉。これまで耳にしたこともない単語。心の(うち)で己にそう言い聞かせながらも、血液が逆流するような興奮を抑えることができなかった。 「フェリスという単語は、そのまま幸福という意味にも繋がっていく。我々が目指すのは人類の幸福」  天城瑠唯の声は、呪文のように響く。  病をなくすこと。健康で若々しく、強靱な肉体を得ること。誤りのない正確な見通しをもって状況を判断し、最善の決断をすることができる知性を保つこと。  人類は確実に、人ならざる存在へと至高の進化を遂げることができる――

ともだちにシェアしよう!