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第10章 第3話(3)

「ね、琉生さん、俺ってこの先もずっと『八神』のまま?」  唐突な問いかけに、如月は怪訝(けげん)な顔をした。 「なんかちょっと、いつまでも名字で呼ばれてると他人行儀な気がして」 「他人行儀もなにも、赤の他人だろ」 「え~、なんですかそれ。冷たいな。こんなに毎週末欠かさず会って、お泊まりまでしてるのに」 「変な言いかたするな。べつに遊びで会ってるわけじゃない」 「それはそうですけど、もうちょい距離を縮めてくれてもいいんじゃないかなって」 「呼びかた変えたぐらいで距離は縮まらないし、いまさら変える必要もないだろ。っていうか、八神を八神と呼んでなにが悪い」 「兄貴のことは名前で呼んでるのに?」  言った途端に、しまったと思った。如月の表情が一瞬で凍りつく。なごみかけた空気は、あっという間に重苦しいものへと入れ替わった。 「あ、いや……」  口籠もる群司のまえで、如月は立ち止まる。 「それは、お互いの関係や素性がバレるわけにいかなかったから……」 「ですよね、わかってます。すみません。いまのなしで」  群司はあわてて言い繕った。  なぜこんな絡むような真似をしてしまったのかと悔やみつつ、愛想笑いを浮かべる。 「ほんとすみません、俺だけ『琉生さん』って呼ぶのも変かなって思っただけで」 「べつに好きなように呼んでかまわない。会社で呼び間違えなければ」 「ですね。そこは絶対に、口を滑らせないよう気をつけます」  言いながら、如月をうながすと席に着いた。 「あの、多かったら食べられる範囲でかまわないんで」  いつも盛りつけが多いと文句を言う如月は、群司の言葉に黙って頷くだけだった。  静かな食事がはじまる。  如月はもともと口数が多いわけではないが、今日の沈黙は、いつも以上に気詰まりに感じられた。自分に非があることを自覚しているからなおさらだろう。  大抵は作業の進捗であったり、群司がこれまで独自に調べて知っていることのすり合わせであったりといった内容について話すことが多いが、今日はそれも、うまく話題を振ることができなかった。  ――優悟さん……。  夢うつつに如月が口にした兄の名が、耳に残っていた。  切なさの交じる、甘い響き。  恋人関係にはなかったというが、それでも特殊な状況の中で信頼を築き上げて助け合い、あんなかたちで喪っているのだ。如月にとって兄の存在は、特別なものなのだろう。  最初からわかっていたことなのに、自分の知らないふたりの関係を覗き見てしまったような居心地の悪さをおぼえて、子供じみた絡みかたをしてしまった。群司の胸に、苦い後悔がひろがる。

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