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第16章 第1話(4)
「人生を懸けた研究、それも世紀の発見ともいえる成果をあげていながら、あの男はそのすべてを途中で放棄しようとしたんだ。すべてなかったことにしようとした。なんとか思いとどまらせようと私なりに精一杯手を尽くした。けれども、すべてが遅かった。必死で説得しているさなかに娘の訃報が届いた。私は間に合わなかったんだ」
「だから殺した、と?」
「直接手を下したわけじゃない。彼には《フェリス》の発見者として、その物質の効力のほどをたしかめてもらうことにした。その身をもってね。それだけだよ」
実験台にした、ということである。藤川と同様に。
「まだあのころは、フェリスも人で試せるまでには仕上がってなかったからね。それでも動物実験の段階では、そこそこの成果を出していた。だから直接、発見者である博士本人に自分の研究成果を確認してもらったんだ」
フェリスの開発権を博士から委譲というかたちで奪うまでは、生きていてもらう必要があったという。
「……最低ですね」
嫌悪も露わに群司は口許を歪めた。
「なぜだい? 見いだした本人が自分の身体でその効力をたしかめるのはあたりまえだろう。現に私だってこのとおり、みずから進んでフェリスにこの身を捧げている」
天城嘉文はゆっくりとソファーから立ち上がった。
「どうだい、この身体、この声、この若さと美貌。私はフェリスの力で三十年ほど時を遡り、性別すらも超越した」
両手をひろげ、その姿を堂々と見せつける。
「同時に身をもって証明することができたよ。病にさえ蝕まれなければ、私の娘はこんなにも美しく成長できたのだと。ねえ、どう? わたし、綺麗でしょう?」
小首をかしげ、無邪気に尋ねたあとでガラリと表情を変えた。
「悠長に博士を説得したりなどせず、さっさと権利を奪ってしまえばよかったんだ。私の手でフェリスを開発していたら、娘は死なずに幸せを掴むことができたはずだった。開発者本人に研究をつづける気がなく、すべてを白紙にするつもりでいたのなら、有効活用できる人間に権利が譲られてもよかったはずだ。そうだろう?」
己の正しさを誇示するように声のトーンがあがった。
「けれど私は遅すぎた。どれほど悔やんだかしれない。娘は私の宝で、生きる希望と理由だった。この世に生まれ落ちたその瞬間から、だれよりも恵まれた幸せが約束されていたはずだった。あんな地獄のような苦しみの中で、短すぎる生を終えるべき子じゃなかったんだ」
そんなことがあっていいはずはないのだと、天城瑠唯の姿をした偽物が吠え立てた。
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