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第17章 第1話(3)

「うちのかみさんの場合、運悪くメチャクチャ進行が早くてさ。なんかもう毎日、一分一秒が惜しくて、早くなんとかしなきゃ、どんな手使ってでも手に入れなきゃって焦りまくって。もちろん自力で症状を抑えこめる薬を開発できたらって、研究のほうにも力は入れたけど、当然ながらそう簡単にはいかなくて」  ある話を持ちかけられたのは、焦りと苛立ちに押し潰されそうになっていたときだったという。このままでは間に合わない。最愛の伴侶を喪ってしまう。追いつめられ、どうにもならない運命を呪いはじめたとき―― 「フェリスに関する機密をできるかぎりくわしく調べて情報を流してくれれば、その情報をもとに開発した新薬を優先的に提供してやる。福知山(ふくちやま)薬品の開発部の人間からそう持ちかけられてね、俺は一も二もなく飛びついた」  手錠の鍵がはずされて、拘束から解放された群司は立ち上がり、坂巻と向きなおった。  坂巻の口から告げられたのは、業界で天城製薬と一、二を争うライバル会社の名前だった。 「仮にその薬で奥さんの病状が一時的に回復したとしても、その後の人生をまっとうに生きることはおそらくできませんでしたよ? フェリスというのは、そういう薬物です」 「知ってるよ」  坂巻は淋しげな笑みを口許に浮かべた。 「わかってたけど、俺はそれでも彼女を喪いたくなかったんだ。生きていてほしかった。彼女の生命の刻限は刻々と迫っていて、俺は必死でその運命に抗おうと足掻きつづけて、だけど結局、どうにもできないまま彼女を独りで逝かせてしまった」  笑みを浮かべた口許が戦慄いて、大きく歪む。 「バカだよね、俺。こんなに早く別れが来るなら、余計なことなんか考えないでもっとそばにいてやればよかった。なんとしても俺が治してやるんだ、薬を手に入れてやるんだって躍起になって、彼女を実家の親元に帰して面倒見てもらって。最初のうちは俺も毎日通って一緒に寝泊まりしてたけど、急激に悪化してく姿見てたらしんどくて、絶対治す薬創ってやるからって、その研究が忙しいからって、だんだん訪ねるのが間遠になって逃げて。それでも毎晩仕事終わりにはビデオ通話はしてたけど、そのうち向こうはしゃべることもできなくなっていって」 「坂巻さん……」

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