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 思い出せ、思い出すなと真逆の言葉を発する二つの声がする。  思い出せと急かすように言う声は、己の内から発せられるものだ。  対して、思い出すなという声はジェイマー王の声だったり、またそれとは別の、もっと澄んでいて神々しい声だったりと幾重にも重なっている。  それらの声を無視して、自分の身の内から発せられる声のみに従い、ゆっくりと眠った記憶を紐解いていく。  気が付けば、ジングは上質な肌触りの白を基調とした服装に身を包み、王宮のようなところに立っていた。  いや、正確には、そんな自分を上から見下ろしている感じだという方が正しいだろう。  しかし、何故あれが自分だと分かったのかは分からない。服装どころか、黄金に輝く髪も、白くきめ細かな肌も、何より芸術家が仕上げたかのように整った顔立ちは、どう見ても別の存在だ。  しかし、唯一今の自分と重なるものがあるとするならば、その目の色だ。金と銀が複雑に混じり合っている瞳は、自分をおいて他に見たことはない。  それに、まるで懐かしい相手と再会したように、あれは自分で間違いないと嬉しささえ感じた。  そんな自分を見下ろしていると、近付いてくる光の玉のようなものがあった。 「ジング、また人間界に行ったのか」  玉のようなものから声が聞こえてくる。威厳に満ちている点においてはジェイマー王と重なるところもあるが、決定的に違うのは、澄んでいて穏やかな気持ちにさせるところだ。 「ユレイア様」  自分の口から発せられるその名前を耳にした途端、封じられていた記憶の扉がさらに開かれた。  ユレイア。それは天界を統べる神の名前だ。しかし、それは通り名のようなもので、かの神の本当の名前を誰も知らず、真の姿を目の当たりにした者もいない。  ただ、ユレイアが従えた天使の前だけには光の玉となって現れ、それぞれに使命を与える。  そして、ジングもまたユレイアに仕える天使だった。それがどうして今のようになってしまったのか、昔の自分が道案内人のように思い出させていく。 「天界に籠ってばかりでは意味がありません。あなた様の命はきちんと果たしますが、どうして人間に接することを禁じられておいでなのか分かりません」 「人間界に干渉し過ぎては、人間界と、ここ天界の均衡が乱れる。人間は欲深い生き物だ。天使を利用し、天界を乱す。逆に、我らの存在も人間界を乱す。いつもそう諭しているはずだが?」   厳しく言い聞かせるようにユレイアは語るが、ジングは首を振った。 「それは分かっております。しかし、私が会ってきた人間は決して悪い者ではないです。皆、家族を愛し、恋人を大切にし、日々を精一杯生きている。彼らから学ぶことも多いはずです。ですから、私は何と言われようと、人間界に降りることをやめるつもりはありません」  そう頑固に言い張ると、ジングは美しい純白の羽を広げ、飛び立った。 「ジング!お前がこれ以上人間界に干渉すると言うなら……」  後ろからユレイアの声が追いかけてくるが、ジングはそれを聞かずに人間界へ再び降りて行った。  地上に降り立つと、ジングは真っ先にある少年の元に会いに行った。  その少年は、人間であるにも関わらず、天使のような金色の髪と透き通るような青い瞳をしている。心根が真っ直ぐで純真な証拠だ。  そんな曇りなき眼で、少年はすぐにジングの姿を見つけて声を上げた。 「天使さま!」  笑顔で駆けよって来る少年の顔を見て、現在の自分はあっと声を上げかける。  それは見間違いようもなく、ジャックスの子どもの時の姿だった。 「ジャックス、元気にしていたか?」 「うん!天使さまがなかなか来ないから、待ちくたびれちゃったよ」  幼いジャックスは、頭を撫でられ、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。 「今日は何をして遊ぼうか」 「僕、ボール遊びがいい!」 「いいな、やろう」  楽しそうに二人で遊び始めるのを見て、忘れていたのが不思議なくらいに鮮明に思い出してくる。  天界の掟に縛られるのが嫌いだったジングは、こうして人間界にしばしば降りてきていたのだが、自分の姿をはっきりと見ることのできる人間はいなかった。  そんな時に偶然知り合ったのがジャックスで、彼は初めて自分の姿をはっきりと見ることのできる人間だった。  もともと不思議なものを見る能力はあったらしいが、ジャックスもまた、ジングほどにはっきりと見えるのは初めてだったと言っていた。  そして、何度も会ううちに親しくなったのだが、それをユレイアに咎められ、反発を繰り返す。  そんな時に、あの出来事が起こってしまったのだ。  思い出していくのにつれ、目の前でボール遊びをしていたジャックスがボールを追いかけ、道路に飛び出す場面が来てしまった。 「危ない!!」  ちょうど向かって来たダンプカーに撥ねられかけたジャックス。それを庇うため、ジングはジャックスの前に立ち、天使の力を行使した。  その庇うシーンは、ちょうど今セキュラからジャックスを守ったのと重なるところがあった。  そして、その力を行使したことで、ジャックスの命は守られたのだったが、天界の掟を完全に破ることとなったのだ。さらに、膨大な力を使ってしまった影響か、ジングは力のほとんどを失っていた。  それも命が守れた代償とすれば軽いものだと思っていたが、ユレイアの判断はそう甘くはなかった。 「ジング。人間界に干渉し、一人の人間の寿命を変えてしまった罪で、お前を天界から追放し、悪魔界に堕とすこととする。通常は堕天使とした後に悪魔にするという執行猶予がつくのだが、お前が犯したのは大罪だ。さらに、天界の秘密を守るため、お前が天使だった記憶は全て封じる。それに伴って天使の力も使えなくなるが、異論はないな?」 「……はい、ありません」  私は、この罪を決して悪いことだとは思っていませんと続けようとしたが、それは胸の内に仕舞っておくことにした。   そうして、ジングは天使から悪魔に堕ちることになったのだ。  封じられていたはずの記憶が蘇ったのは、封印が完全ではなかったのか、それとも命の危機に瀕したことで封印が解かれたのか。  いずれにしても、何よりもずっと大切にしていたあの少年を、ジャックスをもう一度守ることができてよかった。  そう思うと同時に、記憶の再生は終わり、次第に柔らかな光が身を包んでいるのを感じ始める。    それは流れ込んでくると同時に、身の内から発せられる温もりと融合しているようだった。 「ジング!ジング、お願いだ。目を覚ましてくれ!」  涙ながらに自分を抱き締め、呼び掛けてくる愛しい声がする。 「ジャックス……?」  ゆっくりと瞼を押し上げていくと、間近に泣いているジャックスの顔が見えた。その瞳は記憶の中の少年と同じ、とても美しい色合いをしていて、見ているとほっと心が救われるような気がしてくる。 「ジング!ああ、よかった!」 「ジャックス?俺は一体……」  ジャックスに抱き締められたまま周囲を見渡すと、自分とジャックスの周りを何か光の膜のようなものが覆っている。 「くっ、膜が邪魔で届かない。いつまで待たせる気!?早く出てきなさい!」  セキュラも膜に阻まれて攻撃ができないらしく、何度も弓矢や剣や黒い炎を放っているが、弾き返されて苛立っている。 「君が気を失ってからバリアを張ったんだ。でも、そろそろ限界だ。そうだ。バリアを解く前に、胸の傷は!?」  相当体力を消耗しているらしく、ジャックスは玉の汗を浮かべながら、ジングの胸の中央辺りを確かめる。そこはちょうどセキュラに投げられた短剣が刺さったところだった。  しかし、刺さった形跡どころか血の跡も何もなかった。 「剣が……ない?」 「ジャックスが治してくれたのか?」 「ううん、僕じゃないけど……。というか、僕は治癒とかやり方が分からないから」  顔を見合わせて揃って首を捻っていると、一際強い衝撃波が襲ってきて、バリアが壊れる音がした。  ゆっくり話をしている暇はないようだ。 「やっと壊せたねぇ。ジェイマー様はその男にご執心だったようだけど、目障りだからまとめて消してあげるよ」  そう言って歪んだ笑みを浮かべると、セキュラの手に膨大なエネルギーが蓄えられ始めた。 「ジング、僕はもう対抗できない。君だけでも逃げて」 「馬鹿言うな。逃げる時はお前も一緒だ」  ジャックスはその言葉に首を振る。そして、足を指差した。 「っ……!」  下敷きになった時に足が折れてしまったようだ。右足が不自然な方向に曲がっている。  平気そうな顔をしていたくせに。 「ジング。僕、思い出したんだ。君に二度も助けられて嬉しかったよ。だから、今度は僕が犠牲になって恩返しをする番だ」 「犠牲にって……おいジャックス、何をする気なんだ!」  ジャックスの体が発光し始めると同時に、その生命力が奪われていくのを感じた。  微笑みかけられ、優しくキスをされ、そっと小さな声で呟くように言われる。 「ジング。僕はずっと君を愛しているよ。たとえ僕が死んでも、それは変わらない」 「やめろ、嫌だ!やめろぉお!!」  涙ながらに叫びながら、強い想いが溢れた。  絶対にジャックスを死なせたりしない。自分がこの手で守るのだと。  その途端、日の暮れ始めて薄暗くなっていた室内に、真昼の太陽が現れたような輝きが満ちた。  それと同時に体に力が漲り、無意識に覚えていた動作で手を動かして、セキュラの闇の力を跳ね返す。 「ぎゃぁあああっ!!」  耳を塞ぎたくなるような断末魔が響き渡り、セキュラの体が黒い炎と化して消失した。  辺りに静寂が戻り、呆然と自分の両手を見ていると、隣から驚くことを言われた。 「天使さま……?」 「えっ」  ジング以上に驚いている様子のジャックスを見て、その発言に首を振る。 「違う。俺は天界を追放されたから、もう天使なんかじゃ……」 「洗面所で自分の姿を見てみなよ。僕の言ったことが分かるはずだよ」  言われるままに、妙に軽くなった体で鏡を見に行ったジングは、そこに映った自分の姿に目を疑った。  鏡の中から見返してきていたのは、醜さなど欠片もない、完璧なまでに整った男だった。  その姿は間違いようもなく、昔の天使だった頃の姿そのものだ。 「どう、して……」  疑問を口にしながら、よろよろと洗面所を出て、ジャックスの元に戻る。 「どう……?僕の、言ったこと……分かった、でしょう?」 「あ、ああ。それは分かったが……。ジャックス、顔色が悪いぞ。今治してやる」  一番怪我の酷そうな足に手を当てると、みるみるうちに治り、顔色も良くなってきた。 「ジャックス、調子はどうだ?」  顔をぐっと近付けながら問うと、ジャックスは頬を赤くした。  「ん?何か赤いな。熱でもあるのか?」  手を伸ばして額に触れると、ますます赤くなって視線を泳がせる。 「違うよ。君のその姿のせいだ。眩しすぎて目の毒だなって」 「えっ」  ジャックスが赤くなっている理由を知ると、自分まで恥ずかしくなってきた。  互いに視線を逸らしながら、気恥ずかしい空気が漂った後、空気に耐えられなくなったのか、ジャックスが口を開く。 「そういえば、どうして君は天使から悪魔になってしまったの?」 「俺が天使だった時、天界の掟に縛られるのが嫌で、よく人間界に来ていて、その時にお前に会ったのは知ってるよな?その後、人間のお前と関わり過ぎたのと、お前が事故に遭った時に力を使って庇ったせいで、天界を追放されたんだ。人間界に干渉し過ぎてはいけないという掟があったから」 「そうなんだ……。その時に僕の記憶も封じられたのかもしれないけど、今ははっきり思い出せるよ。やっぱり僕が君を愛おしく思うのは自然なことだったんだ……」 「そう、だな……。俺も、その……」 「でも、僕のせいで天界から追放されたんだよね?何か申し訳ないな。これでは、君に恨まれていても仕方ないね」 「っ……そんなことは……!」  泣きそうに笑うジャックスに、否定しようと声を上げかけた時だった。  ジャックスとジングの目の前に、眩い光の玉が現れ、その中から声がした。 「ジング、記憶を取り戻したようだな」 「ユレイア様!?」  昔の調子で咄嗟に跪くと、光の中から笑う気配がした。 「頭を上げよ。お前は一度天界を追放された身。今や私の配下ではない」 「し、しかし……」 「ジング、この声の方は?」  未だ状況が掴めていないジャックスは、説明を求めてジングに問う。 「ユレイア様と言って、天界を統べる神だ。人間風に言うなら、俺の元上司と言ったところか」 「か、神様!?」  いろいろなものが見えるジャックスでさえ、光の玉とは言え、さすがに神様にお目にかかったことはなかったらしく、仰天している。   そして、慌ててジングに倣って頭を下げようとしたが、ユレイアはそれを制した。 「よい。今は急を要するのでな。細かいことは後回しだ」 「ユレイア様がそうおっしゃるのは珍しいですね。よほどのことなのでしょう」  そもそも、光の玉という仮初の姿であっても、ユレイアは人前に姿など現したことなどない。それだけでもただ事ではないことが察せられた。 「お前の推察の通りだ。今、天界と悪魔界で人間界を巡っての争いが繰り広げられていてな。天界は元より人間界に干渉することを禁じている一方で、悪魔界はその逆でより干渉し、人間を取り込むことばかりを企んでいる。これを巡っての熾烈な争いは、水面下でずっと行われてきたが、今回お前たちの行動が更なる波紋を呼んだ。ジャックスとか言うそちらの男は、ただの人間には持ちえない力を有して上級悪魔を滅し兼ねないことを危ぶまれ、ジングはジャックスを二度も庇い、記憶を取り戻してそんな姿になった。敵対する我らが一貫して思うことはただ一つ。お前たちの今後の処遇についてだ」 「天界と悪魔界が争っているのは遥か昔からと聞いておりましたが、私たちの処遇、ですか……」 「そうだ。そこで、お前たちに私から一つ提案がある」 「提案ですか?」  その提案を聞いたジングとジャックスは顔を見合わせ、揃って頷いていた。

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