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第199話

あの頃の気持ちに(ジュンヤ) その52 「 ドイツへは 」 その問いにはいとも簡単に答えが返る。 「 今日のメンバーとあっちのレーベルで出さないかって話が来たのは半年前、 四週間後にドイツへ行く 」 全ての俺の疑問はこの何行かの言葉で答えになった。 「 決まってた、ってことだな 」 「 ああ 」 菅山と三枝君はいつの間にか、テーブルからいなくなっていた。 残されていたのは誰が置いていったのかわからないマッカランのボトル。 空になったグラスに自らそれを注ぐ手は人にはわからない程度に震えている。 「 四週間後か 」 ふっと先日のホテルでの一件を思い出した俺は、そうかあの時のお別れには俺も入っていたんだなと気付いた。 「 俺さ 」 「 何だ?」 「 あんたと一緒に生活してた頃、一回も一緒に旅行したことなかった 」 「 あぁ、俺の仕事が大変な時だったか、行きたかったか?」 「 そりゃぁ、俺まだあの頃は子どもだったし、行きたかったよ、お父さんってどんな感じだろう?って 」 「 そうか、お父さんか 」 「 でも行かなくって良かったんだ。俺さ、あんたを好きになって。そういう意味で好きになったからそんな思い出なくて良かったんだ 」 「 おいおい、凄いラブレターだな 」 冗談めかしく返したが俺の気持ちは又いっぱいいっぱいになる。 誤魔化すために、 注いだモルトを一気に煽るそのステムにかけた指が震えを増す。 何を期待してる?俺は俺の前から居なくなるこいつにまだ何を期待している? 「 ドイツに来てよ 」 「 え…… 」 「 俺を、俺を、追っかけて来てよ 」 俺たちの席の周りだけ灯りが残る店で、俺は聞いた言葉を消化するのに戸惑った。 「 できるわけ、ないか 」 「 …… 」 「 冗談だよ、忘れて!」 そのままジュンヤは立ち上がると暗闇の方に足早に去っていった。 照明の落ちた静かな店からこの店のシンボルの蔵の引戸を引いて外に出ると、西荻の通りは解放された夜のそれなりの賑やかさで周りを包む。 四週間か、俺に与えられた時間は四週間。 今夜のジュンヤの演奏、半分は聞いたか? 路地に立ったまま煤けた都会の夜空を見上げる。 そうだな、最後まできちんと聞かなきゃな、もう一回。 ドイツは遠い……

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