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第207話

あの頃の気持ちに(ジュンヤ) その60 ジュンヤ 暗く生ぬるい風が通る路地裏で、 天を仰ぐと、厚い雲が薄っすらと覆う月のない空が見える。 ライブが終わってから小一時間。 店の壁に寄りかかり濡れて街灯の光を映す足下と その空を見上げてる。 あの人は、最期の挨拶の後盛大な拍手と歓声を浴びてる俺を残して店から居なくなった。 当然待ってくれいてくれる、と思った俺は今、途方にくれてる。 四人でこの後飲み直すつもりも、明日からの出立の準備もなにもかも急に面倒な気分になる。 何で?どうして? 足下の水溜りを蹴れば 買ったばかりのサイドゴアブーツが水に濡れる。 何度何度も溜まった水を蹴れば、 あの人に会いに行く勇気が出るかと思った。 「 おい、待ってても来ないから迎えに来たぞ 」 「 あ、ごめん……」 「 なんだ、そんな顔して 」 腕を掴まれてそのまま、抱き込まれる。 「 ジュンヤ、俺、そういうつもりでお前を口説くから、向こうに行ってもずっとだ 」 少し高い位置の唇から紡がれた言葉。 そしてそれは俺のそれに重なる。 慣れていたはずのその滑り、舌の味。きっと俺の唇をもう一回穿いて、厚い舌で俺の中を味わうんだろう。 薄く開けた俺の口唇を啄ばみながら、さっきまでスティックを握っていた長い指は俺のこめかみから後頭部を優しくそして執拗にさする。 違う匂いをまとう男に抱擁されても、頭の中はあの人の匂いを覚えてる。 腰を抱いた腕に手をかけて軽く叩くと、思いのほかわかりの良い男は俺の目元にキスを落とすと、身体を離した。 空いた隙間にふっと生暖かい風が通る。 「 今夜は譲るか…… サヨナラを言う相手がいるんだろ 」 知ってるのか?目の前の紅茶色の眼を見つめると、 「 一年見てたから、 お前だけをね 」 と応えた男は俺の背中を押して、 「 行ってこいよ 」 と告げた。 大通りに出てタクシーを拾う。 五反田の島津山の番地を伝えると、ぼんやりと車窓から日本の街の夜景を眺める。 この街に帰ってきたかった、ずっと日本に帰ろうと、あの人に逢いたいと思って過ごした日々を想う。 彼に会うのが今日は怖い。 どんな答えを出したんだろう。 俺たちには禁じの血が流れてるかもしれない。 知らなかったから寝れたのか、それとも知っててもなお、俺の手を取ってくれるのか。 考えれば考えるほど、もう車を止めて逃げ出したくなる。

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