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飛び級事件

 語学の授業中。僕は絶賛落書き中。  語学学校は僕にとっての「逃げ場所」。カイラスにもちょこっと話したが、僕は僕の意思で、アメリカに来たわけではない。本来なら、オランダや北欧など、型にとらわれない教育の国へ行きたかったんだ。  だけど環境は、僕にその選択をさせてくれなかった。残念なことに、僕は頭が良かった。頭が良くて、日本じゃどうにも扱いきれない脳みそを持っていると知った僕が、外国に行きたいと言い出すのは時間の問題だった。  黒板の文字に興味はない。書き写すふりして、カリグラフィーの練習。  それで、大人たちに言ったんだ。「海外の大学に行って学びたい」って。まあそれは建前だったんだけど。高校一年生の時の話。自分が普通じゃないことをのたまってたとはわかってたさ。でも日本にいても、僕の能力は食いつぶされる。大人もそれをわかってた。  もちろん僕が指定した先は北欧、デンマークの公立高校。あそこなら基本みんな英語を喋れるし、伸びるやつはいくらでも伸ばせる。ね、とってもいいと思わない?  先生の筆圧で、白いチョークがボキッと折れたのを見た。  そう、まさにあんな感じでね。僕の意見も折られた。 「君の能力なら、アメリカの高校に行って、そのままケンブリッジやオックスフォードも視野に入れたほうがいい。北欧?頭はいいんだろうけど、君を教えられる教師がいるかどうか…。それに我が校としてもね、やはりいい高校、いい大学に入るというのは、君の後輩にも希望を与えることだから……・・・」  つまりのところ、学校的には名前の知れてる大学に行って欲しかったのだ。そして学校側は集団でうちの両親を説得にかかった。僕の親は見事にその夢物語を信じてしまったんだ。  全く、僕があの二人から生まれてきたなんて信じらんないね。僕が親だったら、きっと僕にこう言っていたさ。「金は出すから、ノルウェーの脂ののったシャケを送れ。あとは自由にしろ」ってね。  だから常々思うよ。親と僕の価値観は、ほぼ真逆だなって。  先生が来週はじめにあるテストを予告して、終鈴が鳴った。  最初ばびっくりしていた、サイレンみたいなアメリカの学校の予鈴も、もううんざりするほど聞いて、慣れてしまった自分が憎い。 「ミチル、ちょっと。」  先生が僕のことを教壇前に呼んだ。 「あなたに言っておかなければいけないことが。着いて来なさい」  とうとう授業態度で厳重注意か?  校長室なんて仰々しい場所に、僕は入れられた。  校長はいかにも、アメリカの偉い人の雰囲気を、ここぞとばかりに振りまいている。 「入学面接以来だね。君の噂はかねがね聞いているよ。まあ、授業態度は置いておいて…。それで今日はね、多分君にとってはビッグニュースだ」 「そうですか。なんでしょうか?」  目をキラキラさせ、出来るだけ、「あなたの話に興味がありますよ感」を演出。  校長はビジネスマンのような笑顔で言った。 「飛び級試験を受けないか?」  僕は一瞬、自分の耳がお逝かれになったかと疑った。 「飛び級試験……ですか」 「そうだよ。君だったらきっと二学年くらいは先に行けるだろう。時間もあまりない。明後日までに僕に考えを教えて。まぁ、飛び級試験を受けたくないなんて言い出す子は、居ないけどね。ご家庭の事情なんかもあるし、何より今回は高校を飛び越えて大学に入る試験も含めるから、手続きもあるし、先に親御さんには伝えておいたよ」 「まさか。僕より先に、親に飛び級のことを話したんですか?」 「まぁ、受験料のこともあるし、大学の費用のこともね」 「大学……」 「もちろん、ケンブリッジかオックスフォードくらいしか、君には選択肢がないだろうけど」  校長が満足げな声で言った。 「少し………考えさせてください」  僕は一つお辞儀をして、校長室を出た。  すれ違う教師たちが僕に、「よかったな」とか、「絶対受かるから大丈夫だよ」と声を掛けてくる。  そうなんだよ。絶対に受かってしまうから、やばいんだよ。 「受ければいいじゃないですか。飛び級試験」 「そんな簡単なことじゃないんだよ」 「でも今ミチル、合格するなんて簡単だって……」 「それは簡単だよ。簡単じゃないのは、両親の説得」  ソファでズルズルと体を落とし、その様を見ているカイラスは少し困った顔をしている。 「いまいち、話が掴めないのです。まず、どうしてミチルは飛び級をしたくないんですか?」 「…そうだった…あの部屋には、まだ、君を入れたことはなかったな」 「あの部屋とは?」 「着いてきて」  僕はソファーから立ち上がると、玄関から一番遠い一部屋の前まで来て、鍵を取り出した。 「前から不思議だとは思っていたのですが、室内なのに、どうして鍵がついてるんです?」 「そりゃあ、中を見られたくないからさ」 「私は見ませんよ。興味ないですし」  それはそれは良かった。僕はキーを抜いて、金色の古びた取っ手を回した。  暗い部屋に電気を点けると、僕の部屋にある全ての絵が突然現れる。 「この部屋…アトリエだったんですか!」  カイラスは吸い込まれるように、絵の部屋に入っていく。 「カラフルですね。色遣いがかなり特徴的な部類です。インターネット上でこれらの作品と一致する画像は見つかりませんね。………ん?」  カイラスが僕を振り返る。 「となると、これらの作品は、あなたが描いたもの?」 「そうだよ」  カイラスの目がまんまるになった。そのあと、彼は少し困ったような顔をした。 「しかし……私には絵の価値はわかりません」 「だろうね。芸術の価値は数値で表せるものじゃないから」 「すみません…。本当に、私には、わからないのです……」 「まぁ、これが僕が飛び級したくない理由さ」  カイラスがますます「困惑」したので、僕はおもわず笑ってしまう。 「つまりさ、僕がアメリカに来たのは、両親から逃げるためであり、芸術を極める時間が欲しかったからなのさ。ロサンゼルスは、絵に、ダンスに、演技に、全ての芸術が揃ってる。日本じゃ絶対に手に入らない環境さ。日本に居れば、両親が画家を反対するのなんて目に見えてた。だから語学留学として、英語が喋れないふりをしてアメリカに来て、三年の語学学校兼高校に入った。でも飛び級なんてして、いい大学に入ってしまったら…わかるだろ?絵を描く時間は格段に減るのは目に見えてるし、アメリカに居られる時間も短くなってしまう。そして多分、僕はしようと思えば、大学三年くらいまでは飛び級できてしまう」 「……他の人間が聞いたら、きっと、あなたのことを嫌な人だと思うでしょうね」 「だろうね。でも事実なんだ」  言ってて泣きそうになってきた。 「悲しいんですか?あなたは優秀であるのに」 「……日本に帰りたくない。絵を描いていたいんだ。」 「だったら一つ、あなたは見落としています。最も根本的な問題を」 「なんだい、それは?」 「単位数です」  僕は固まった。  タ・ン・イ・ス・ウ。  次の瞬間。  僕は大笑いした!!  涙が出て、一生に一度しか出ないくらいの大声で笑った。そんでカイラスに抱きついた。大声で叫んだ! 「そうだ!僕!単位が足りない!」  カイラスが抱きかえしながら、「そうですね。そもそも受験資格がありませんね」と冷静沈着な声で言った。 「なんで、なんでそんな根本的なこと、忘れていたんだろう?」 「私が調べてみたところ、あなたの通っている学校の中で一年で取らなければいけない最低単位数のギリギリ取れる教科しか、あなたは選んでいませんでした。だからと言って、あなたは他の大学の講義も受けていないから、単位は最低限しか取っていない。受かったとしても入学資格はありません、受験料を払うだけで、無駄金ですね」 「君は最高のロボットだよ…そして僕の親友!」 「ありがとうございます。でもどうして校長先生は、それをわかっていてあえて、あなたに受験資格があるように言ったのでしょう?」 「さあ?そんなのはどうでもいいよ。今日は最高の日だ。スーパーで肉を買って、肉料理が食べたい。カイラス、それも、大量に!」 「はぁ…、わかりました。では今から、行ってきます」  それから数週間後、校長は退校処分になった。学校の理事長から、能力の無さを理由に解雇されたそうだ。きっと僕の単位のことなんて把握してなかったんだろう。  次に雇われた校長は優しそうな女性で、その後、新しい校長が僕に飛び級を勧めてくることは、一度もなかった。  一件の落着に、僕はしばらく自由に絵をかける時間を得た、と思っていいんだろう。  ケータイが鳴り続けている。両親からだとはわかってるけど、怒鳴り声でこの夢のような時間を壊されたくないから、まだ、出ていない。 飛び級事件/end

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