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裏・初恋 ─マーク編─
「やだ何あれ、何でデカメロン四個。近すぎ、離れなさいって」
某地方都市の観光地の一つ、賑やかな海水浴場を見下ろすホテルのバルコニーに驚声が響く。
声の方へ目をやれば、背中まである黒髪を無造作に束ね、灰色の毛玉つきスウェット姿の彼女は、飽きもせず目の前の砂浜を監視している。
「どうかしましたか」
彼女が大袈裟に騒いだところで、大した事もないと心得ている。
普段の主人への対応と似て非なる心持ちで、私は声を掛けた。
「うー、誰かわかんないけど割り込んできたよ。邪魔邪魔、がるる~あっちいけ」
砂浜にいるであろう私の主人とその友人を、彼女は朝から双眼鏡で見つめ続けているのだが、何か気に入らない事があったようだ。
「そもそもあの、被り物が意味不明だし」
被り物とゆう言葉に私は瞬時に反応する。セキュリティーチームのフォンナンバーをスマホに表示させながら、彼女のいるバルコニーに急いだ。
彼女の隣に立ち、その視線の先を辿った私は、呆気に取られる。
「何ですか、あれは!」
「あー。黒馬とマイコーだね」
危機感の欠片もない声で彼女が答える。
確かに私が考えていたような危険はないようだ。人物の特定できないが、首から下を見れば女性だと知れた。
まぁ、それはそれで別の危険が無いとも言えないが、その位の分別は私の主人なのだから心得ているだろう。
「もう、ナンパなんかされてる暇があったら、さっさとユウリを押し倒せってのに」
彼女の口から飛び出した、レイプを唆す言葉に苦笑する。しかも襲われる対象は私の主人の方らしい。
「レディがそのような言葉遣いをしてはいけませんね」
そう嗜めた事で、ようやく私の方を振り替えってくれた彼女だったが、その可愛らしい顔は不満げだ。
「だって、暁がヘタレなせいだもん。お陰で学祭のシナリオが進まないし」
彼がヘタレだというのは、否定しないが彼女のシナリオとどのような関係があるのか?
彼女が個人情報を漏らす事はないだろうが、主人も関わるとなると、やはり内容を確認しておく必要があるだろう。
「確かロミオとジュリエットをベースにした物語、とお伺いしていましたが」
「そうよ、タイトルは、『禁断・ロミジュリ─性別に引き裂かれた恋─』ね」
「…BLですか?」
BL、ボーイズラブという言葉を彼女と出会って始めて知った。勿論、同性愛を知らなかった等とは言わないが、男性同士の恋愛を女性が好んで愛読したり創作したりするという文化があるとは思いもよらなかった。
日本人の産み出すサブカルチャーは、私のような人間には理解できない事が多い。だからこそ、彼女にも興味を持ち得るのだろう。
「そう、敵対する財閥の跡取り息子同士が出会い、最初はお互いに敵対心を燃やしてたんだけど、それがお互いを知るうちに、好意持ち始め、徐々に恋愛感情に育っていくの」
嬉々として語り始めた彼女の表情や仕草に、魅せられてしまうが、そのストーリーには、全く共感出来ない。
それでもシャイな彼女が、熱っぽく真っ直ぐに私を見つめてくれるのは、こんな時だけだから無意味な時間だとは思わない。
主人の我が儘に付き合わされる形で訪れた日本で、二人目の仕えるべき存在を見付ける事が出来たのは幸いだった。
むろん彼女と主人では仕える意味も立場も異なる。いづれは、私の伴侶として掌中の珠として尽くすつもりだ。
しかし現時点では彼女の年齢的にこの距離感を保つしかなく、彼女が他の男の事を考えあれこれ夢想しているのを、止めさせる事が出来ないのがもどかしい。
彼女の話に適当に相槌を打ちながら物思いに耽っていると、胸ポケットでスマホが振動した。
彼女に断りを入れ電話に出ると、指示していた準備が出来たとの報告だった。
「お話の途中ですが、そろそろ出掛ける方が良いようです」
「わっ、もうそんな時間なんだ。ちょっと待って、キャンドル取ってくる」
慌てて部屋に戻った彼女を待つ間に、出掛ける準備を整える。
「待たせて、ご免なさい」
彼女が抱えた紙袋を受け取り、ドアを開ける。
「構いませんよ」
どうせ、あと数年はあなたを待つ身ですから。
「らぶらぶディナー作戦成功させようね、マーク」
他の男の事を考えて、にっこり笑う彼女に、嫉妬心を煽られる。
今は我慢しますが、私のものになったら、ほかの男など妄想にさえ出てこないよう躾てあげますからね。
「仰せのままに、マイプリンセス」
その日を夢見て、今日も私は忠実な執事を演じるのであった。
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