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天敵現る 14
まんざらでもないから、キスを許した。そう解釈したということらしい。気まずい雰囲気が漂う。
その時、廊下を歩く複数の足音が聞こえたかと思うと、足音の主たちは揃って実験室に入ってきた。
「……でさ、時間ないから、さっさと取り掛かろうぜ」
「そうだな。早いとこデータ取っちまうか」
聞き覚えのある声はどうやら四回生の連中らしく、隣室での出来事など知る由もない彼らは軽口を叩きながら、卒論のための実験準備を始めたようだ。
たちまち気配が賑やかになり、拍子抜けしたのか、やる気を削がれたのか、コーヒーを飲み切った結城は「ご馳走様でした」と言い残して実験室へと戻ってしまった。
ぽつん、と一人、机に取り残された私を虚しさが襲った。あんな言い方をしなくてもよかったのに、という後悔の念がひたひたと押し寄せてくる。
マジゲイになった、今は先生ひと筋だと主張する結城の言葉に動揺し、意識しているのは認める。女も男も魅了する彼に、そんなふうに想ってもらえるのは光栄であり、まだまだ私も捨てたものではないと自信が持てたのも嬉しい。
だが、彼を全面的に信用したわけでも、その口説きに屈したつもりもないし、キスも、それ以上も許したおぼえはない。
女タラシから一転、父親の病気という不幸にもめげず、健気に生きる姿に心が動かされているとはいえ、私は彼を恋人として認めたわけではないのだ。
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