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第2話
目の前の書類をひとずつ片づけている間に、ゆっくりと4月はやって来て、佐竹の隣のずっと空いていたスペースに新しい机がひとつ増やされた。暦が4月になると同時に、それまでずっとスーツを着ていた鹿野目が、徳井との一方的な約束を守って私服で出社してきたことに、堂嶋は少しだけ驚いた。そんなこと律儀に覚えているタイプにはとても見えなかったが、案外そうでもないらしい。私服は思ったより派手ではなく、シンプルな格好だったが、そのほうが見た目のちぐはぐさがなくなって、不用意に尖ったところもマイルドに見えて良いと思った。徳井に褒められても顔色一つ変えずに、ただ単純にお礼を言っている鹿野目を見ながら、そういえば愛想は悪いと柴田が言っていたなとふと堂嶋は思った。
「堂嶋さん、飲み会しませんか」
夕刻、そろそろ仕事を切り上げて帰ろうかとしている時に、佐竹が神妙な顔をしてやって来たかと思うと、そんなことを言い出したので堂嶋はそれに思わず眉を顰めてしまった。佐竹はそんな堂嶋のリアクションは全く気にする素振りなく、にこにことしている。
「飲み会?」
「歓迎会ってことで。折角鹿野も来たことだし。それにほら、俺ら去年忘年会してないじゃないすか」
「でも事務所の忘年会には出たでしょ」
「堂嶋班としてはなんもなしだったじゃないですか!」
「えー・・・とかって君ら飲みたいだけでしょ・・・」
一度集られたことがあるのを思い出して、堂嶋はうんざりしながらそれに答えた。彼らは楽しかったかもしれないが、堂嶋にとってはリーダーだから高給なんでしょと酔っぱらったメンバーに絡まれて、散々だった思い出でしかない。すると佐竹は覚えているはずなのにバツが悪そうな顔のひとつもしないで、ばしばしと座っている堂嶋の肩を自棄に馴れ馴れしく叩いた。
「いいじゃないすか、奢ってくださいよー」
「どうしよ・・・ちょっと徳井くんー!」
遠くから徳井にSOSを出すと、徳井が座ったまま右手を上げた。
「あ、大丈夫です、予約取れたんで」
「え?大丈夫じゃないよ?え?」
「皆のスケジュール合わせたんです。来週の金曜日、堂嶋さんも空いてるでしょ?」
満面の笑みで佐竹が言う、その佐竹の良い笑顔越しに、徳井がこちらに向かって親指を立てているが、堂嶋にとっては何もオッケーなんかではない。
「・・・君ら・・・ほんとに・・・」
「いいじゃないすか、親睦を深めましょう、ね。ホラ鹿野も行きたいって言ってるし」
立ち上がった堂嶋からひらりと離れて佐竹は座っている鹿野目のところまで行くと、パソコンを睨むように見ている鹿野目の肩を後ろから抱いた。すると鹿野目がまるで今気付いたみたいな顔でぱっと頭を上げて、ふっと佐竹の方を見た後、堂嶋に視線を移した。
「・・・あ、行きたいです、俺も」
「ほらぁ、かわいい若手のお願いですよ、行きましょうよ、リーダー」
「・・・えー・・・」
疲れてはぁと溜め息を吐いて、堂嶋は椅子にもう一度腰を据えた。完全に流されているが、これは行くしかない流れなのだろうかと思いながら、堂嶋は天井を仰いだ。視界の隅で佐竹と徳井がハイタッチよろしく手を合わせている。仕事は兎角きちんとする連中ではあるから、こういう時の行動力も目を見張るものがある。それにしてもいつの間にこっそり打ち合わせしていたのだろうと考えながら、椅子に座り直す。こんな時だけリーダー扱いをするのだからと溜め息を吐いてもどうしようもない。
「堂嶋さん」
呼ばれてふっと顔を上げると、先程までパソコンを睨んでいた鹿野目がデスクの前に立っていた。慌てて堂嶋は背筋を正す。ただでさえ背の高い鹿野目の前で座って目線を低くしていると、しっかり見上げなければならずに首が痛い。佐竹に惑わされるように行きたいと言った鹿野目は、やっぱりそんな時でも恐ろしいくらいの無表情だった。鹿野目が笑ったり怒ったりしているところを、4月になってからそんなに日が経っているわけではなかったけれど、まだ堂嶋は見たことがなかった。
「あ、なに・・・?」
「堂嶋さん行きたくないんですか、飲み会」
「いや、だって・・・俺が払うんだもん・・・佐竹くんも徳井くんも皆ひとの金だと思って」
「あぁ、なんだそういう・・・」
「え?」
ほっとした空気感が伝わってきて、堂嶋は落とした視線をまた鹿野目まで戻す。堂嶋の視線の先で慌てたように鹿野目は口を手で覆って、左手で何でもないと言いたげに手を振った。鹿野目は人の多いところは苦手そうに見えたが、案外そうでもないのかもしれない。
「意外だな」
「・・・?」
「鹿野くんは飲み会とかあんまり得意そうに見えないけど、好きなの?」
「・・・いや、苦手です」
無表情で鹿野目は呟いた。随分迷いのない回答だと思った。
「じゃあなんで、無理して佐竹くんに合わせなくてもいいよ。煩いよ、ウチの班の飲み会は」
「いや、でも」
「ちょっと、リーダー!これから頑張ろうっていう若手に対して何ですか!変な知識植えつけないでください!」
急に後ろから佐竹が大声で遮ってきて、鹿野目の意識はそっちに持って行かれる。堂嶋も座っている位置を少しずらして、自分の位置から佐竹が見えるようにすると、盛大に眉を顰めて見せた。しかしあんまりそれが本人には上手く伝わっていないようだった。
「変な知識植えつけてるのはそっちでしょう。やっぱり君を教育係にしなくて良かった」
「あー!そうやって徳井ばっかり贔屓して!」
「はは、確かに佐竹は若手の教育は向いてないな」
さっきまで仲良くハイタッチしていた徳井が、急に佐竹を裏切り、俯き加減で笑いを漏らしながら堂嶋に同感する。徳井と佐竹は完全な同期入社ではなく中途採用の佐竹の方がやや遅いのだが、時期がほとんど同じということもあって、今では同期みたいな扱いになってしまっている。
「うるせぇな!オイ、鹿野!徳井が嫌になったら俺がすぐ変わってやるからな!いつでも言えよ」
「・・・はぁ」
鹿野目がそれに何でもないような返事をする。それを聞いた徳井が肩をすぼめてまたくつくつと笑い出すのを見て、佐竹が渋い顔をしているのが堂嶋の座っているところからも見えた。
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