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第4話

携帯を覗き込んで青ざめる堂嶋の手からするりと自分の携帯を取り上げると、鹿野目は何でもなかったかのようにそれをポケットに戻した。堂嶋は考えた。考えたけれど意味が全く分からなかった。何故あんなものを彼は写真におさめて平然としているのだろう。一体何のためにそれを写真におさめようと思ったのだろう。笑いものにしようとしているのだろうか、鹿野目みたいな鉄仮面でもそんな冗談を思いついたりするのだろうか。それとも何か脅すために使おうとしているのだろうか、しかし堂嶋なんか脅したところで、鹿野目にとって有意義なものなんて何にも出て来やしないことは少し考えれば分かりそうなものなのに。考えても考えてもひとつも分からなかった。考えている間に、背筋に嫌な汗をかく。その時不意に堂嶋の背中の後ろで扉が開いて、中に入っていたサラリーマンらしき男が出てきた。俯いた堂嶋には見えなかったが、会釈をして隣を過ぎていく。鹿野目はそれを目で追いかけて、もう一度目の前で俯く堂嶋に視線を戻した。 「堂嶋さん、あきましたけど」 いつもより自棄に暢気に聞こえる鹿野目の声が、俯いている堂嶋の頭上でする。分からない、彼が何を言っているのかもよく分からない。頭がぐるぐるしたまま、堂嶋は腕を伸ばして鹿野目の手首を掴んだ。何となく逃げられては困ると思ったからだ。 「・・・か、鹿野くん、き、み、それ、どうする、つもりで」 「それって、写真のことですか」 「・・・それ以外なんかある、かな?悪いけど、け、してくれない、かな」 「はぁ」 曖昧な返事をする鹿野目は、それでもジャケットのポケットから携帯を取り出した。それを見て堂嶋はわずかにほっとした。一体何のために鹿野目がそんなことをしたのか分からないが、消してくれさえすれば、もうそんなことはどうでもいいことだった。しかし鹿野目が操作していた携帯が、急にカシャっとシャッター音を立てた。堂嶋はまたふっと青ざめる。 「か、の、くん?」 「消すのは無理です。だってこれ、堂嶋さんを脅す材料にさせてもらうので」 「・・・え?」 不意に鹿野目は堂嶋が掴んでいたほうの手を上げた。そしてくるりと手の中で携帯を回転させて、液晶をこちらに向けた。そこには青ざめて酷い顔をした堂嶋の顔が写真に撮られている。思わず口の中でひっと悲鳴が漏れた。鹿野目の指が動いて、携帯の画面に『保存しました』の文字が浮かび上がる。それにまた、堂嶋はふっと意識が遠ざかるような気がした。脅す、と鹿野目ははっきり言った。堂嶋はやっぱり意味がひとつも分からないで、鹿野目の結ばれた薄っぺらい唇を見ていた。あれが動いて今さっき、確かに脅す、と自分に言ったような気がした。血の気がどんどん顔から引いていく。脅すと言われても、鹿野目相手に脅されるようなことをした覚えがない。大体鹿野目のことはこの4月になるまでほとんど知らなかったみたいなものだった。それなのにどこでどう間違って恨みを買ったのだろう。全く、それこそ全く本当に覚えがない。 「か、鹿野くん、じょう、だんを」 「俺が冗談なんか言うと思いますか」 「・・・だ、だよね、でも俺、ほんとに君に脅される覚えなんてないって言うか・・・む、無意識に酷いことをしたり、してたのかな?今まで・・・」 「別にそんなんじゃない・・・」 視線を反らして鹿野目が小さく何か呟いた。堂嶋は全く聞き取れなくて、鹿野目に近寄って聞き返した。目の前に携帯電話がある。 「鹿野くん・・・?」 「堂嶋さんって、彼女いるんですよね。同棲してる」 「え?」 急にまた話が変わって、堂嶋はついていけなくて混乱した。 「い、いるけど・・・なんでそんな、話」 「見られたら困りますよね、さっきの写真」 「あ・・・うん、勿論・・・まずい、ね」 「じゃあちょっと俺に付き合って下さい」 全く堂嶋の方を見ずに、鹿野目はそう言うと手に持っていた携帯をするりとジャケットのポケットに滑り込ませた。思わずその行方を目で追いかける。鹿野目はくるりと堂嶋に背を向けると、そのまますたすたと歩いて戻って行ってしまった。堂嶋はそこにひとりぽつんと取り残されて、鹿野目の背中を見ていた。鹿野目が4月に自分のチームにやって来た時から、鹿野目はよく分からない人間だと思っていたけれど、今日のことで更にその見解に拍車がかかって止まりそうもない。脅すと言った、確かに脅すと言われたような気がする。脅すって一体なんだ、一体何のつもりで鹿野目はあんなことを言ったのだろう。 堂嶋が戻ったところで、計ったように飲み会はお開きになった。店を出たところで皆良い顔をして、ばらばらの方向に帰って行く。堂嶋は表面的にそれに渋い顔をしながら見送ったけれど、斜め後ろに立つ鹿野目のことが気になって仕方がなかった。徳井が鹿野目はどこに住んでいるのかと聞いた時、彼はまるで何かを隠すみたいにここの近くでと繰り返した。その徳井が堂嶋に右手を上げて帰って行って、店の前には堂嶋と鹿野目だけになった。ちらりと後ろに立つ鹿野目を見やると、鹿野目はもうずっと長い間そうしていたみたいに、堂嶋の方をじっと見ていた。その視線に背筋がぞっとする。 「・・・鹿野くん、帰らないの」 「言いましたよね、俺、ちょっと付き合って欲しいって」 「あ、うん・・・」 「今から家まで来てください、すぐそこなんで」 「・・・え」 それに堂嶋が返事をする前に、目の前を通ったタクシーに手を上げて、鹿野目が勝手に止める。開いた扉を左手で押さえて、困ったように動けない堂嶋に向かって鹿野目は無表情で呟く。そのこちらに何も言わせない強引なやり口が、事務所で大人しく背筋を伸ばしている鹿野目と同一には思えなくて、堂嶋は静かに混乱していた。暗闇に鹿野目の此方を見る目線だけが真っ直ぐ光っていて空恐ろしい。 「堂嶋さん」 「・・・分かったよ」 仕方なく堂嶋は鹿野目の隣に乗り込んだ。バタンと隣でタクシーの扉が自動的に閉まった時、堂嶋はまた背筋に悪寒が走ったが、それが何の危険を自分に知らせているのか、全く分からなかった。暗がりの中で鹿野目が自分の家の住所を呟き、タクシーの運転手が僅かにそれに応答する。堂嶋の耳にも少しだけ届いてきた住所は、確かにここの近くで彼は嘘は言っていないのだとぼんやりと思った。 「鹿野くん」 「何ですか」 「家まで行って、なにするの」 「聞かないほうが良いと思います」 鹿野目が小さく呟いて、堂嶋は鹿野目のほうを見やったけれど、鹿野目の顔は半分暗闇に溶けてその表情を窺い知ることは出来なかった。

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